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自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すこと


大丈夫??深刻になる必要はない??

この世界は幻想なんだから、、、

起きることが起きているだけなのだから、、、

私たちは愛なのだから、神から離れてなどいないのだから、、、

だから、大丈夫、、、深刻になる必要はない、、、

自我は幻想なんだから、わざわざ自我をみる必要なんてない、、、

ただリラックスしていればい、、、ゆだねていればいい、、、

愛だけ、光だけ、神だけ、聖霊だけを求めて行けばいい、、、

、、、そうしていくならば、いつか、神のもとに帰れる、、、

と、そんなふうにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えを理解しているとしたなら、それはコースが教えていることではないと知るべきです。

もしコースという霊性の道をそのようなものだと理解しているなら、それはコースを歪曲して学んでいるということであり、ならば、コースの形而上学をちゃんと学んで理解していく必要があります。

というのも、私たちは、つい、コースをそのようなものとして捉えて、そのような実践をしてしまいがちだからです。

ですが、コースを本当に理解していくならば、コースは「だいじょうぶ、大丈夫」としていくようなスピリチュアリティ(霊性の道)ではないと分かってきます。

コース学習者であるならば、つまり、コースの教えを通して目覚めていきたいのであれば、その形而上学をちゃんと明確に理解していくことは必須です。

コースの形而上学をちゃんと理解することなく、曖昧な理解のままコースを実践していくとしたなら、コースが歪曲されて学ばれていきかねませんし、その実践すらも歪曲したものになってしまいかねません。

そうなってしまうなら、もはやコースではないものを学んでいることになります。

コースは神や聖霊や愛を追究していくようなスピリチュアリティだというふうに捉えて学んでいるとしたなら、それがコースが教えていることではありません。

コースは、そのような霊性の道ではないと知っておかなければなりません。

コースは、神や愛や真理にフォーカスしていくのではなく、神、愛、真理を妨げている障壁(自我)のほうにフォーカスしていく道なのだということです。

そういう意味で、コースは他のスピリチュアリティとは一線を画する霊性の道であるといえるでしょう。

言い換えるなら、愛を妨げている障壁を見つけ出していくことがコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の特徴的なところだと言うことができるでしょう。

もう一度言いますが、コース(ACIM)は、愛、光、神、真理、聖霊、、、といったものを探し求めていくような霊性の道ではなく、それらを見えなくしている障壁(自我/闇)を見つけ出していく道であるということです。

コースの教えはそういう道であるということの理解がないならば、ちがった実践をしていくことになります。

ですから、コースの形而上学をしっかり学んで、そして明確に理解していくことはとても大事です。


コースの心理学的な側面を理解する

コース(奇跡のコース/奇跡講座)は一元論のスピリチュアリティでありながらも、「心理学」の側面が重要な位置を占めていると言うことができます。

コース形而上学の心理学的な側面をしっかり理解していくことで、自我の力動について、自我の思考体系についての理解が明瞭になっていくからです。

それによって、私たちは自我に気づけるようになっていきます。

いわゆる、コースを学ぶことで、自我がはっきり認識されるようになり、もはや自我に力を与えなくなっていくということです。

つまり、自我から自由になっていくわけです。

「自我から自由になる」とは、つまり、この世界から、外側の世界から自由になることを意味します。

もっと正確に言えば、この世界から一切影響を受けることのない真のアイデンティティーを思い出していくことで、そうなっていくと言うことができます。

そのための実践的な手段が「赦し」です。

赦しの実践を通して、私たちは愛の現存を自覚できなくしている障壁(自我)を見つけ出して、取り消していくことをしていくわけです。

つまり、コースという霊性の道は、神ではなく自我を、光ではなく闇を、愛ではなく愛を妨げている障壁(自我)を見つけ出して、それらを取り消していくことに焦点を置いているということです。

それこそが、コースならではの特徴(ユニークさ)だと言うことができます。

ワプニック博士も以下のように述べています。


”『奇跡講座』は、闇を超えて光の方へと移動する方法として、私達が自我 – 闇の側面 – を正視することを主張しており、この点でも独特であると言えます。従って、『奇跡講座』は真理の上に焦点を置くのでなく、私達の自我による罪悪感、恐れ、攻撃の思考体系を取り除くことに焦点を置きます。それにより、真理の光が輝くことができるようになるからです。”

ー「JACIMサイト本館Q&A 【質問4】 『奇跡講座』のユニークさについて」よりー


そして、コースのテキストにもそれについて述べた代表的な一節があります。


”あなたの為すべきことは愛を探し求めることではない。あなたが自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことである。真理であるものを探し求める必要はないが、誤まっているものを探し出すことは確かに必要である。”(T-16.IV.6:1‐2)

奇跡講座/中央アート出版社


ようするに、私たちがコースの実践においてしていくことは、真理や愛や聖霊を追い求めるようなことではないということです。

そうではなく、真理や愛でないものを見つけ出していくことが、私たちがしなければならないことなのだということです。

それなしでは、神の愛神の平安に到達することはけっしてあり得ないということです。

コースの実践を通して本気でこの世界の夢から目覚めようとしているのであるならば、そのことを肝に銘じておきましょう。


参考記事:JACIMサイト【質問4】 『奇跡講座』のユニークさについて


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