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神聖さに憧れるコースティーチャーやコース学習者たちへの提言

正しさ、真理、神聖さをこの世界に持ち込むなら、もはやそれは虚偽です

この世界の中で「これが正しい、これが真実だ、これが真理だ」などと言っているとするなら、むしろ、その考えに対して疑問視していく必要があるといえます。

なぜなら、この世界にはそのようなものなどないからです。

幻想であるものの中に、無であるものの中に、正しさ、真実、真理といったものなどあり得るでしょうか。

もっといえば、そもそも私たちは何が正しくて何が真実であるかについてまったく分っていないだけでなく、真実なんて私たちにはけっして分かり得ないものであるわけです。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えが真に根付いていくとき、私たちはそのようなことが理解されていきますし、そのような在り方になっていくと言うことができます。

逆に、そのようになっていっていないとしたなら、それはコースの教えを知的理解の範囲に留めた学び方をしていると言うことができるでしょう。

そう、もし、コースに対して、あるいはコースが教えていることに対して、「これが正しい教えだ、これが真実だ、これが真理だ、これは神聖な道だ」などとしてしまっているならば、もはやコースを知的な「机上の空論」と化してしまっているということです。

そのようにしてコースを偶像化して崇拝しているコース・ティーチャーやコース学習者は後を絶たないといえます。

それは彼らを批判するものではなく、この世界に居る私たちはそういうことをしてしまうということもっと認識すべきだということです。

そう、以前は、私自身もそうであったということです。

それが、私がコースを学んで、コースという霊性の道を探究して理解したことだといえます。


コースという霊性の道すらも普遍化していく

上記でも分かりますように、コースの思考体系が真に根付いていくとき、コースというものですらもこの世界の他のものと同様のものとして捉えられるようになり、コースという霊性の道が普遍化されていくことになると言うことができます。

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