見出し画像

夢の中の主人公の自分についての物語


この世界の夢の奴隷となってしまっている自分たち

これは私たちみんなに共通する自作自演の奴隷の物語です。


私は生まれながらにして奴隷の身である。

奴隷である私にはまるで自由がない。

むしろ、奴隷としていつも虐げられてばかりだ。

それでも奴隷である私は主人(支配人)に仕えていくしか生きる術がないのだ。

主人(支配人)に反逆したとして、さらにひどい仕打ちを受けるだけだ。

主人(支配人)から逃げ出したところで、どこへも行き場がない。

いずれにせよ捕らえられてひどい仕打ちを受けるか、そうでないとしても、どのみちどこかで野垂れ死にするしかないのだ。

いずれにしたって希望がない。

私はこの身を削りながら奴隷として生きていくほかないのだろうか。

奴隷であることにウンザリしているというのに、どこにも希望がない。

奴隷の身である私は、所詮、主人(支配人)の囚われ人として生きるほかなく、主人(支配人)なしではもはや生きてはいけないのだ。


以上が、奴隷の宿命にある私たちの物語です。

この世界の奴隷となってしまっている私たちに真の自由などありません。

あるのは絶望だけです。

希望があるとするなら、光があるとするなら、「この世界が夢である」ということを思い出すことだけです。

というのも、そもそも神のひとり子であるにもかかわらず、わざわざ奴隷の身となった夢を自分で見たくて見ているだけなのです。

あえて自ら「絶望する」という夢を見ているだけ、という真実を思い出すなら、果たしてそれは本当に絶望なのでしょうか?


偶像たちの奴隷とは、自らなりたくてなる奴隷である。というのも、生命なきものを崇拝して平身低頭し、力なきもの中に力を探すようなことを自分にさせる彼は、それを自ら望んでいるにちがいないからである。そうしたことを自らの願望にし、路傍の石よりも低きところに自らを貶め、自分を引き上げてもらおうとして偶像に依存するとは、神聖な神の子にいったい何が起こったのだろう。それならば、あなた自身が作り出した夢の中の自分についての物語を聞きなさい。そして、自分に尋ねなさい。自分は本当のところ、それが夢ではないと信じているのではないだろうか、と。(T-29.Ⅸ.1)

奇跡講座/中央アート出版社


奴隷である自分から解放されるために

私たちは、この世界の法則の奴隷となってしまっているといえます。

例えば、お金の奴隷、仕事の奴隷、人間関係、家族関係、健康問題における奴隷であったり、、、と、この世界の法則のあらゆるものに縛られているということが、その証拠です。

この世界の中でいくら自由を探したところで、やっぱり私たちはこの世界の法則の中に幽閉されていて、本当の自由などないことを思い知らされます。

私たちは「死」の牢獄に閉じ込められているという意味では、苦痛、苦しみから逃れることは不可能となっています。

そのような私たちにとっての真の自由と解放はどこにあるのでしょう。

そのことについて答えを示してくれているスピリチュアリティこそが、非二元とか一元論のスピリチュアリティと呼ばれているものです。

私たちにとって唯一の救いとは、この世界は自分が見ている夢にしかすぎなかったのだと思い出すことにあるといえます。

そしてそれを、「目覚め」「悟り」と呼んでいるわけです。


私は、ただ神の法則のもとにある。(W-pⅠ.76)

奇跡講座/中央アート出版社


ただし、「これは夢だ、幻想だ、何も起きていないのだ、神からの分離は起きていないのだ、、、」といったことをいくら自分に言い聞かせていったとしても、何の助けにもならないといえましょう。

つまり、この世界をいくら否定していったところで、あるいは、この世界で自分が経験していることをいくら否定していったところで何の解決にもならないということです。

真の問題を見つけ出さないかぎり、問題からの解放はあり得ないということです。

この世界が問題なのではありません。

この夢が問題なのでもありません。

夢を見ていることが問題なのでもありません。

夢の中にも、夢そのものにも、問題などないということです。

真の問題は、自分で夢を信じているということです。

つまり、自分から夢にパワーを投入していること、それが問題なだけです。

もっと分かりやすくいえば、自分から夢に思い入れをしている、自分から夢に対して深刻になろうとしている、ということです。

私たちが思い出さなければならないのは、それだけです。

でも、その真実は否認されたまま、隠されたままになってしまっています。

まったく忘れてしまっているわけです。

その真実が自覚/認識されていないがゆえに、この夢は保持されているということです。


救いの秘密は、「あなたは自分で自分にこれを行なっている」ということだけである。(T-27.VIII.10:1)

奇跡講座/中央アート出版社


真の問題、真の原因は何か?というなら、

自分が自分で奴隷となった夢を見ているということ、
そして、
その夢を自分で信じているということ、

それが、私たちの真実です。

「自分で信じている」とは、それが夢であるにもかかわらず、自分が被害者、犠牲者になることで夢をリアルにしようとしている、ということです。

そのことを認識していくことが、私たちがこの夢から解放されるための鍵となるものです。


自分に尋ねなさい。自分は本当のところ、それが夢ではないと信じているのではないだろうか、と。(T-29.Ⅸ.1:4)

奇跡講座/中央アート出版社


「自分から信じた」ということをまずは自覚/認識していくことです。

それによって、その訂正は可能となりまです。

その訂正の方法は、自分が信じていることの一つ一つを疑問視していくことです。

それが、イエス/聖霊が私たちに求めていることであり、それが、コースの実践を通して私たちがしていくことだといえましょう。

そうするとき、隠されていた扉が開かれていくことになります。


聖霊があなたに求めるのは、ただ、あなたが錠をかけて聖霊から隠してきたすべての秘密を、聖霊のもとに運ぶことだけである。聖霊にすべての扉を開きなさい。そして闇の中に入り、そこを明るく照らすように頼みなさい。あなたから頼まれれば、聖霊は喜んで中に入ってくる。あなたが聖霊の前に闇を顕わにすれば、聖霊は闇に光をもたらす。(T-14.Ⅶ.6:1-4)

奇跡講座/中央アート出版社


”聖霊は闇に光をもたらす”とは、つまり、正しい心(正気)の視点がもたらされるということです。

そうするとき、すべてが夢(虚偽)であったことが思い出されることになります。

それが、「赦し」というものです。

そう、私たちは「赦し」という手段を通してこの世界の夢から目覚めていくのであり、そのために私たちはその「赦し」についてコースを学んでいるのだということを把握しておきましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?