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#真の知覚
天国であるワンネスを思い出していくために私たちが必ず修得しなければならないもの
全一なる知覚(真の知覚)とは赦しの視点から見た知覚とはどういうものか?
というなら、
それは、知覚しているものすべてを包含して、しかもそれらすべてを等しく同じ幻想として見ている知覚のことを言います。
それを、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、「ヴィジョン」「真の知覚」と呼んだりしています。
そして、すべてを包含しているという意味で、「全一なる知覚」と呼んだりしています。
霊的に成長するとは?霊的に大人になるとは?
自分の真実について知る必要がある形態の上では、私たちは子供の状態から成長していって大人になっていきます。
ただ、見かけ上は大人になっていったとしても、私たちのその中身はまったく子供のままだと言うことができます。
何が子供のままなのか?というなら、
ようするに、
自分が何者で、何をしているのか?
何が自分を幸せにするのか?何が自分に苦痛、苦しみをもたらすのか?
私たちはそういったことについ
想念はその源を離れない、投影が知覚を作り出す
この世界には問題などないこの世界には問題がたくさんあるかのように見えます。
それが世界の情勢であったり、あるいは個人的な仕事上の問題であったり、人間関係の問題であったり、健康の問題であったり、経済的な問題であったり、、、たくさん問題があるかのように見えます。
でも、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えに基づいてその実践をしていくならば、外側の世界には何の問題もないということが体験的に理解さ
ワンネスをこの幻想世界の中に反映した知覚とは
幻想としてすべてを同じとして見る巷のノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティでは、「この世界は幻想、すべては愛でしかない、だから大丈夫」というふうな見方をしていて、その実践は「平安になりましょう、リラックスしましょう」というふうな学び方をしているといえます。
ただし、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、同じノンデュアリティのスピリチュアリティではありますが、その学び方も実践の仕方もまったく
聖霊/イエスとの完全なる同一化を目指して
兄弟の中にキリストを見るとは?「兄弟の中にキリストを見る」とは、どういうことをいうのでしょう?
私たちはつい言葉通りに、そのように見ようと実践しがちになりますが、実際の実践はそうではありません。
そもそも、兄弟をキリストとして見ようとしても、そのように見れるものではありません。
ましてや、その対象(相手)が自分にとっての憎悪の対象者であるならば、なおさらのことです。
私たちが知っておかなけ
赦しは全一的なものでなければならない
すべては等しく幻想であり、その例外はないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えの中心概念となるものが、
「世界は幻想である」
というものです。
それは、この世界で起こっていることのすべてが嘘である、ということを意味します。
でも、そういうことを知的に理解していてもほとんど役に立たないのが実状です。
ですから、私たちはコースの学びと実践を通して、そのように見ることのできる真の知覚を修得して