眠すぎワロタ 7/12(月)
事情により3時間しか寝れなかった。いつも7時間寝てる僕からすると致命的な短かさだ。
定価から40%引きのパフォーマンスで仕事をこなしながら、早く帰って寝たいなと思っていた。
眠い。ただそれだけで全てがどうでも良くなっちゃうの、怖いよね。人生で一番重要なのは健康だってのは有名だけど、その認識は年々深まっている。
これは帰りの電車で書いてるのだけど、とにかく早く家に帰りたい。ベッドにダイブして眠れたらさぞ気持ちいいだろうなあ、幸せはもうすぐそこだ。なんて思ってる。ずっと寝ることを考えていたら中で、ふと、この幸せの掴み方って不健全だよなぁと感じた。
お腹が減って死にそうな時に食べるおにぎりは抜群に美味いなんて経験、山ほどしてきた。だからといってご飯や水、トイレを限界まで我慢してから存分に満たすような、人工的に欠乏を作って満たす歓びを味わうような真似は、下品だからやらないだろう。
あくまでも欠乏が不幸せで充足が幸せなのであり、欲求を満たすこと自体に悦びを覚えてはいけないはずだ。
そう考えると「努力して成功する」も同じ構図かもしれない。努力して掴みとる経験を繰り返すと、手に出来たこと自体の喜びよりも「努力して」の文脈を重要視するようになってしまう。
お店で刺身を食べるよりも、釣った魚を捌いた手造りの刺身の方が美味しいと感じる体になる。
そうするともう、努力せずに得れたモノに喜びを覚えられないはずだ。
これはしんどい。生きづらい気がする。
電池が切れるまで走り続けられる人からすれば問題ないだろうけど、経時で衰えていく凡人にはたまらないわよね。
「努力して成功する」は中毒性が高いから、自分を苦しめる原因になっても気付きにくい気がする。努力ボーナスを貰って走る回路から抜け出せると、健全で新しい幸せの形に出会えるかもしれない。
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