自分の行動に責任を取る


自分の身に起こることは自分が原因で結果が起こる。
自分が誰かを助けたいと思えばすれば良いし、もう無理だと思えばやめれば良い。近づかないようにするのも自分の好きにすれば良い。
それが自分に責任を取ること。
そして結果を受け入れる。他人と自分をごっちゃにして考えるから迷うのだ。
先輩僧侶の言葉を引用する。


悪縁

 では、私たちは魂をみがくためにこの人間の世界に生まれてきた。今も人間界という旅の途中だ。よって、私たちが生きている間にすべきことは、自分の心を成熟に向かわせることだけなのだ。

 さて、教育が成り立つまず前提として、誰しもがよい心を持っている、仏教でいえば仏性を持っている、ブッダとなる種を持っているということが挙げられる。
 その良い芽を伸ばしてあげる、持ち味を発揮してもらうため、よき縁に触れることが大事だ。たとえば、よい種(因)が、「大地に植えられ、雨が降り注ぎ、太陽の光が降り注ぎ、風が吹き、これらが融通無碍にとけあって」(縁)、いずれ大きな果実となる(果)のである。

 逆に、よい持ち味があるのに、その人にとって悪縁に触れれば、悪しき心を発動してしまい、せっかく向上の道を歩んでたのに、退いたり、転落したり逆戻りすることもありえる。残念ながらその責任は指導者側にはない。そこは押さえて置かねばならぬ。悪縁に催されて、心狂わされ、道を誤ってしまった自分の心に全責任がある。

 また、とんでもない指導がかえって逆縁となり、指導を受けた人を正しい道に導く場合もあるから、一概に悪いとは言えないが、ある意味“劇薬”だが、悪い指導者も存在、多数存在する。

 思い出しただけで、ぶちのめしてやりたいという悪しき心を発動させてくれる、有り難い指導者もいる。
 しかし、重要なのは、悪縁に催されようが(縁=間接的)、結局責任の所在は自分の心にある(因=直接的)、ということである。
 だから、振り回されるような人とは、さらりと縁切りしたほうがよいと思う。積もりに積もった怨みを晴らそうと、手をかけたならば、その報いは自業自得で自分自身が引き受けなければならなくなるのだ。責任は100パーセント自分自身にある、ということだ。

#自業自得 #自己責任 #結果 #受け入れる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?