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頭の中が うるさいので、酒で消毒するという癖

普段、人と話す事がない生活なので 気がつくと頭の中でもう一人の自分と会話している。仕事のプレッシャー、未来への不安、過去のやらかし... これらが、海の波のように心の中を何度も行き来する。
こういう 心のさざなみを 酒で必死に静めようとしてきたが、賢明なやりかたではなかったなと悟るまでに だいぶ時間がかかった….。

■反芻思考で独りでも騒がしい生活

「私は四六時中 いつも自分と対話している…」ということを意識し始めたのは 中年になってだいぶ経った頃だ。
30代前になって、2時間近い電車通勤にうんざりし、地元を離れて職場の近くのエリアで住むことに決めた。
それ以来、もう何十年も一人暮らしであり、普段 何をするにも独りだ。
休日は酒を飲んで二日酔いで過ごしてきたため、趣味もなく 当然知り合いすら作れず都会の片隅で生活してきた。
ただ、独りで生活はしているものの、常に自分の中のもう一人の自分と常に対話はしているものなのだ。

誰とも話さない事が多いので
頭の中で 一人会議が始まることもある

夜になり電気を消しても、頭の中ではその日の反省や仕事上の失敗体験などが湧き出し 頭が冴え始めることがよくある。これはたちの悪いケースだ。結果として、私は数時間眠りにつけなくなる。

これは「反芻思考」や「ブルーディング」とも呼ばれる「思考の癖」ひとつである。
なお、ブルーディング(Brooding)というのは、もともとは(鳥が)卵などを温める行為であり、それが転じて心の中で何かを「温め続ける」ような状態を表している。
例えば 過去に経験したネガティブな経験を「温め続け」て、それが発展して悪い結末になる予測が頭の中で羽化する感じだろう。

ゴーストが羽化するブルーディング

私の例でいうと、折り合いの悪い上司と 過去に険悪になったシーンをふと思い出してしまい、来週の打ち合わせで意見の対立が見込まれそうな時は どうやって対処しようか?と無意識のうちにシュミレーションしてしまう。そして、このシミュレーションの結果は、まるでB級ホラー映画のように、最悪の展開ばかりになる。

反芻思考により、過去のネガティブなイメージが頭の中で亡霊(ゴースト)のように再生成され、倒しても倒しても、復活してくるので 終わりのない戦いを繰り広げてしまう。

ゴーストは負けても無限にコンティニューしてくる


脳は想像と現実の区別がつきにくい。そのため、ベッドの中という安全な場所でも、目を冴えさせ、リアルな疲労感を引き起こしてしまう。
結局、翌朝は睡眠不足のままだ。

反芻思考は思考の癖(くせ)なので、私と違ってこの癖がない人もいるだろう。そういう人のことは 羨ましく思う。

■反芻思考の原点を思い返してみた

厄介な癖である「反芻思考」の原点について 自分なりに考えてみた。
私は 幼少(小学生 低学年)の頃に親に怒られた時、親からよく「反省できるまで正座してろ!」と叱られてきたのだが、それが大人になってから反芻思考に変化してしまった気がする。
というのも 子供にとって「反省する」とはどういうことか?なんてことは 教わっていないし、理解できていないものの 怒られているときは そんなことを質問できる状況ではないことだけは 学ぶ。
その結果、みようみまねで覚えた反省という名の「自己を責める」という「反芻思考」が段々と身についていった…と言う気がする。

子供ながらに、反省しようにもやり方がわからなかった

本来であれば「過ち」であっても手法さえ知っていれば、健康的な自己成長に結びつけることはできるのだろうが、幼い頃に 間違った扱い方を覚えたために頭の中でゴーストが発生しやすい土壌ができた気がする。
それと、幼い頃から両親の夫婦仲が悪いので いつ夫婦喧嘩が起きるか 幼少期から布団の中でハラハラしていたのも 反芻思考を身につけてしまう格好の環境であった。
いずれにせよ、幼い頃の教育や家庭環境って本当に大事だよなぁと感じる。

というか、私の親も子供の叱り方は 自分の親からしか学んでいないんだよなぁ…と 苦笑する。こりゃもう 連綿と続く、ちょっとした地獄絵図 Da.Yo.Ne♥

幼少教育は 親から直伝(じきでん)が まだデフォルト

■酒で消毒してみよう、と言う提案

しかし、20代に入った私はこの頭の中のゴーストに対して 合法で最強な(なおかつ最悪な)方法を知ることなる。
頭の中が反芻思考による ぐるぐる思考で 怒りや不安などのネガティブな感情でかき混ぜられている状態であっても…
なんと!酒を飲めば!
…頭の中の心配事はおろか、ゴーストも 一切出てこなくなるのである!

むしろ ゴーストと踊ってしまえるほど陽気になれる!

しかも、どこか緊張していた体もほぐれるし、気分も陽気になるしいい事づくめ。
こんな私が 頭の中のゴースト対峙(もしくは、ゴースト退治)のアイテムとして酒を常用するのは 至極当然の成り行きだった。
仕事から帰宅したらコップに酒を注ぎ「汚物は消毒じゃー」とばかりに 酒を煽るのが習慣になってゆく。

ゴーストだって?お酒で消毒じゃー!
あっはっは!

なお、酒は 薬と同じで 飲み続けていると耐性ができてしまい、低い度数の酒では酔えなくなってしまう。
20歳から ほぼ毎日「酒でゴーストバスターズ」作戦を行ってきたため、段々とアルコール度数が高くないと 気分良く酩酊できず、日本酒→ワイン→焼酎→ウォッカやジン とアルコール度数が高くてコスパが良い酒を選ぶようになってゆく。

ビールは水!お酒ではないッ!押忍!

その結果、「酒が入ると陽気になる人」から、「酒好きなキャラ」となり、その後は「アルコール依存の厄介なオッサン」に成長してしまう(体重も成長する)。

断酒後に反芻思考と向き合う(遠回りに気づく)

結局、なんやかんやあって 断酒し酒を辞めた現在は 頭の中のゴーストはどうなっているかと言うと、いまだ健在ではある。
「雀(すずめ)百まで踊り忘れず」といったところか。

夜寝る前に反芻思考が始まると「こういう時は酒を飲んでいたのだなぁ」と気づいたりする。
ただ、断酒した現在は酒を飲みたいという気にならない。というより、現在は酒を飲むという選択肢がない。

酒という薬を使うことができなくなった現在では 瞑想とか他の手段を使ってなんとか かんとかしのげるようになってきた。
反芻思考を打破するには 認知療法や瞑想など ネットで調べれば色々な手法が見つかる時代だ。いい時代になった。

ネットからいろんな解決策を知ることができる
"ネットはコーダイだわ"

癖は 意識すれば直すことができるものであり、思考の癖も同様に直すことができる。
つまり、酒など呑まなくても 反芻思考を回避できるのである。
こんな事に気づくまで25年以上も掛かってしまった。orz….

この辺の事はまた別の記事で書こうと思っている。

結論:子供の頃の教育や家庭環境、マジ大切。
反芻思考という人体の現象(思考の癖)を知り、その対策を若い頃から知っておけば、人生変わると思う。


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