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カワイイ彼女を好きな理由

友人Aの話をさせてほしい。

創作趣味がきっかけで出会って、約2年。ひとつ年下で、私とは全くタイプが違う彼女の話をさせてほしい。


彼女は、とにかくかわいい。橋本環奈さんといい勝負なんじゃないかと思う(当社比)くらいに、ぱっちりの目と形の良い鼻、綺麗に整えられた眉。小ぶりな口から零れる声はきらりと輝く鈴が鳴るかのように可憐。もうトニカクカワイイ。パッと笑えば周囲にポポポンと花が咲く。栗色の髪はふわりと風になびき、小柄で、守ってあげたくなるような柔らかさを醸し出している。多分その視線で見上げられたらほとんどの人はイチコロじゃないだろうか。一緒に遊ぶときに、170㎝ほど背丈がある私の腕にするりと巻き付いてくるたびにいつも「これは人類が落ちる可愛さだな」と思っている。メイクも好きで、いろんなコスメに挑戦しては毎回違う角度の可愛いを見つけてくる。まだそんな新しい一面あんの!?と毎回びっくりする。そしてかわいい。服のセンスもいい。というか、自分をきちんと理解して、自分の最大限の可愛いを演出できるだけの力を身に着けているんだと思う。パールのように繊細なキラキラと、ふわふわしたマシュマロのような空気を身に纏う、
これまでに出会ってきた友人の中で3本の指に入る「可愛い」人だ。

これを本人に告げると「そんなハードルあげないで~!」と言ってくるのが目に見えているので、いつもは8割減くらいで伝えている。(伝えたくはなるのだ、心中察していただきたい、だって可愛い)


これだけカワイイカワイイを連呼しておいてあれなのだが、私が彼女を好きな理由は「カワイイから」ではない。

この友人、めちゃくちゃかっこいいのである。


努力の天才

彼女は私と同じ創作タイプで「なんでもやる人」だ。そしてどのジャンルでも、ハイクオリティなものをどんどん世に放っていく。美麗なイラストに心揺さぶられる歌、涙腺をぶっ壊してくるような繊細な芝居。もうすごすぎて、毎回悔しいを通り越していく。圧巻の一言に尽きる。

そんな彼女を見る度に、多くの人は「天は彼女に二物どころか四物も五物も与えてる!才能の塊で羨ましい!」とぼやく。いや確かにめちゃくちゃかわいいし歌もうまいし絵のクオリティ高いしそれでいて性格もいいしで、向かうところ敵なし感はあるけれど。

彼女が持ってる才能は多分、ひとつだけ。

努力する才能だ。

Aとは歳も住んでいるところも近かったことため、割とふらりと飲みに行く仲になった。そんな中で、お互いの過去の話なんかにも触れてきた。聞けば聞くほど、今彼女が持っているものはほとんどずっと積み重ねてきた努力の結晶で出来上がってるものだと思うようになった。

可愛くなりたい!と必死にメイクを覚えセンスを磨き、絵がうまくなりたい!と人の何倍も時間をかけて取り組む。それ以外のものもすべて、「自分がこうありたい」という姿に向かって自分ができうる限りの努力をしている。今私たちが見ている彼女は、そうやって彼女が手に入れた姿だった。

「私多分負けず嫌いだから、仕事でもなんでも他の人ができてるところを見ると『私にだってできる!』って思って頑張っちゃうんだよねぇ!」

それでいて、その努力している姿を一切見せないのがまたにくい。

「突然できるようになってたらかっこいいよな~って私は思うんだ!」

そういう自分なりの美学を貫いているところも、格好いい。

人は人、自分は自分

いや確かにめちゃくちゃかわいいし歌もうまいし絵のクオリティ高いしそれでいて性格もいいしで、向かうところ敵なし感はあるけれど。

つい先ほど、このように書いた。

ところで「性格がいい」って、どういう人をさすのだろうか。誰にでも優しく親切で、人によって態度を変えることもなく、いろんな価値観を受け入れてあげられて・・・そんな仏のような人間のことを言うのだろうか。


Aは、ちょっと違う。どこまでいっても自分は自分で人は人なのである。

Aは自分の行動の軸となる価値観を、かなり明確に持っている。
だからわりと自分と相反する価値観に対して「これは私の価値観と相反している」とはっきりジャッジする。あくまでも自分の中で。

それだけ。

自分はその価値観を認められないけど、その価値観を持っている人が別に極悪人というわけではない。だから別に相容れない価値観を持っている人にわざわざ自らの正義を振りかざすこともしないし、そういう人が近づいてきても自分に被害がなければ節度をもって接することができる。そこに嫌悪を匂わさない。だって人は人だし、私は私の生きたいように生きるし、と。

どこまでもいっても潔い。

「誰かをわかりやすく攻撃しない」というのは「誰の敵にもならない」ということで、「誰の敵にもならない」というのは「自分を攻撃する心配が少ない」ということなんだろうか。だからこそ彼女の周りには人が集まるのだと思う。優しくて可愛くて多彩な女の子、である彼女を好きになる。表面上はとてもふわふわして見えるのでなおさらかもしれない。


Aはどこまでも、自分の大切にしてる価値観の上を進んでいる。

メイクをするのも、誰かの気を惹きたいからではなく自分自身が満足できる姿でいたいから。創作活動も、自分の中のイメージを形にしたいから。そこに他人はいないのだ。あくまでも「自分がこうしたいから、する」という、それだけ。


蔦縁セレクトでA名言集を作ろうと思えば数えきれないほど候補はあるのだけど、ここ最近で心に残ってるものをひとつ。

先日テレビで「子どもの二重整形」というテーマが取り上げられた(らしい。リアルタイムでは見ていなかったけれど)。賛否両論渦巻くTwitterのタイムラインに【「二重=可愛い」という価値観がこの世からなくなればいい】というツイートが流れていった。

それを見た彼女がぽつり。

「[二重=可愛い]の価値観そのものをなくすんじゃなくて、その価値観を他人に押し付ける人が減ればいいと思うなぁ。何を可愛いと感じるかは人ぞれぞれだし。私は、二重の自分の顔の方が好きだからメイク頑張ろうって思うなぁ」

ちなみに私は一重だ。ただ一重のわりに大きい目なので、二重にしてしまうと逆にギョロ目のモンスターのようになってしまう(アイプチに挑戦して発覚した)ため、一重を貫いている。それにそっちの自分の顔の方が、どちらかと言えば好きだ。

もしかしたら件のツイート主さんも一重で、だけど「二重の方が可愛い、だから一重のあなたはかわいくない」などと誰かの価値観を押し付けられてきたのではなかろうか(完全に想像ではあるが)。

何をいいと思うのか、何に価値を抱くかは人によって違って当たり前で、それを「他人にあてはめない」ということは、きっと大切だけど簡単じゃない。簡単じゃないけれど、「自分の価値観を他人に強要しない」だけで、この世の問題の3割ぐらいは解決するんじゃないか、なんて、ぽつりと零したAの言葉で考えさせられた。

ギャップに魅せられた

知れば知る程、Aはかっこいい。そして、かわいい。ありえないとは思うのだけど、万が一Aにこの記事が届いてしまったとしたら、多分彼女は「これちょっといい風に書きすぎー!」とか言いそうな気もする。確かに彼女の好ましく思う点だけを切り取って書いたけれど、私からはこう見えるんだから仕方ないねぇ。頼む、許してくれ。

誰からも愛されるふわふわ柔らか女子だけど、その中身は誰よりも常識人で礼節を重んじて、白黒はっきりしていて、負けず嫌いの努力家で、他人にこびず自分をもって突き進んでいる人。

知れば知る程、頭が上がらんのですが。
憧憬ってこんな感情か、って思う日々ですよ。


そんな彼女が、たまに「ちょっと聞いてー!」って零す愚痴の吐きどころに私を選んでくれるのが嬉しいなぁなんてことは、本人にはまだ内緒の方向で。


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こちらに参加中。91日目。こんなに長い記事になるとは・・・!



ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。