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夏祭り、思い出す人

わたしが育った場所は人口5000人ぐらいの小さな町だったけど、80年代に2階建てのショッピングセンターができた。

今思い出すと夢のようだった。屋上駐車場でヒーローショーもやったし、ゲームコーナーもあって、おもちゃ屋、CD屋、文房具・本屋……店内を乗って歩けるぬいぐるみカーも闊歩していた。イベント時には空気でふくらませた大きなガリバー人形が来店客を迎えた。正月の福袋の山、配られる風船、大人が喜んで持ち帰る花のプレゼント、店頭のガラガラ抽選大会……

小学校が近く、家族がそこで働いていたこともあって、子どものころはよく行っていた。仕事の合間に家まで車で送り届けてもらったり。おやつをもらったり。

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思い出す、あれはわたしが高校生のころ。町の夏祭りの夜。

わたしは家族の手伝いで、ショッピングセンターの入り口で「よりどり3つで1000円」というファミリーパックのお菓子を売るバイトをやっていた。

中学生までは、この祭りは自分が楽しむものだった。

好きな人や友達と非日常の夜遊びを楽しむことができる日。

そんな時期はもう過ぎてしまって、高校生にもなったら夏祭りだからと言って友達で集まったりすることもないようだ。みんな違う学校で違う人間関係ができているのだ。

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「別に売れても売れなくてもわたしの利益に直接影響はない」という店番は気合も入らないもの。呼び込みをするでもなく、ほんとうに「ただの店番」だ。
そもそも、祭り会場からは外れたショッピングセンターには、祭りの人ごみにつかれて涼みにやってくる人ばかりだ。わざわざお菓子を買うお客もほとんどおらず、にぎやかな祭りを横目にしずかで暇な店番だった。

「あれっ? (弟)くんのお姉さんじゃないですか、今日は何をやってるんですか?」

そんな店番のわたしに声をかけてきたのは一つ下の後輩君だ。3つ離れたわたしの弟と同じ部活と言うこともあるし、もともと顔見知りだ。

「店番だよ。3つで1000円なんだけど、買ってかない?」

「先輩のためにも買ってあげたいけど正直いらねっす……」

わたしも本気ではなく、からかう調子で押し売りをはかっただけなのに、ちょっとだけ本気で悩んだ風の後輩君は、まじめないいヤツだったのだ。

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夏祭りというとその日の夜と、後輩君とのやり取りを思い出す。

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わたしが高校を卒業して、地元からも離れて数年たったころ。

夏に帰省すると、家族との会話で何気なく後輩君の名前が出てきた。

「○○君って若い子がこないだ事故で亡くなったけど、学年がずれてるからあんたたち知らない人だよね?」

わたしも弟もびっくりだ。知らないどころか、弟にとっては部活の先輩だし、わたしにとっても顔見知りの後輩だ。

バイクの事故だっていうけどバイクに乗ってる姿が想像できなかったし、最後に会話したのがあの夏祭りの夜だ。なにも現実感がない。

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その後、ショッピングセンターは姿と名前を変えていき、20世紀が終わるころにはゲームコーナーもおもちゃ屋も文房具店も無くなった。子どものためのイベントをやっているかどうかはわからない。場所はそのまま、建物もそこにあるが、華やかに飾られることも、人がにぎやかに行き来することもない。色をなくし、まさに「夢の跡」になってしまった。

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いまだに、この季節の夜、暑い外気と風が吹いた時の涼しさ、建物から吹き出す冷気が混ざって自分を取り巻くようなときは、あの夏祭りの夜に戻って彼と短い会話をかわし、そしてもういないということがいまだに実感できないことを思い出すのだ。




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