流れに身を任せるってどうゆうこと
リモートワーク1日目。いかに家で生産性をあげるかチャレンジしていました。ひろかずです。
最近『バカボンド』という漫画にはまっているんです。宮本武蔵が主人公の漫画。
そこで頻繁に「流れにみをまかせる」っていう言葉が出てきます。
なんでも大丈夫。ただ全てに事実を受け止めて、流れに身をまかせるよう生きる。それがすべて。だと。
自分がすごく大切にしている言葉。
でも案外誤解されがちな気がしています。
そんな今回は、自分なりの「流れに身をまかせる」ってどんなことか考えて書いてみようかと。
流れに身をまかせるのイメージ
「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響あり」
平家物語に出てくる言葉。諸行無常ってのがあります。
なんとなく今回の「流れ」と近いような言葉。
この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
物事は常に変わっている。絶えず変化するものである。変化の「流れ」があるからこそ、その流れに乗ることが大切である。と。
ここでよく抱く印象は、
「流れにのるって、自分で決めないってこと?」
「適当に生きるってことなんじゃないか」
あたりかと。
こう抱く時って、どこか「流れに身をまかせる」の大切な要素が抜けているします。
大丈夫
「流れに身をまかせる」の要素の1つ目は、大丈夫という感覚。
何が起こっても大丈夫。受け止める。
言い換えると、怖さに引っ張られ過ぎないということだと思います。
怖いものって誰だってあるはず。
失敗するのが怖い。
稼げないのが怖い。
振られるのが怖い。
信頼関係を失うのが怖い。
楽しく仕事ができないのが怖い。
いろんな怖いがあるはず。
大丈夫って思えていない時って、その怖さに引っ張られて行動し過ぎてしまいがちだと思います。
怖いから、その怖さを回避する方向にばかり、選択をしてしまう。
だから、「流れ」なんてものが見えない。
究極、「死ぬことも怖くない」って思えると、選択する上で躊躇しない。ただ、自分がしたいことを選んでいけると思うんです。
でも、怖さにばかり引っ張られていると、「〜したい」ではなく、「〜ねば』ばかりのチョイスになってしまうし、いつも慌ただしくしてしまう。待てない。すぐに成果を求めてしまう。
だからこそ、何が起こっても大丈夫という感覚をもって、ドンと構えることが大切なんですよね。
非論理的なものほど論理的
もう一つの要素は、非論理的なものほど論理的というもの。
あーだこーだかんがえるよりも、非論理的に選んでいくものが、むしろ論理的でベターな結果になるのでは?というもの。
というよりは、考え過ぎてもむしろ可能性を抑えるよ、ってことだと思っています。
考えだすと、どうしてもリスクとかデメリットとかを考えてしまう。大丈夫じゃない、状態と少し近いですね。
考え過ぎずに、流れてきたものを受け入れる。考えすぎる前に、流れに乗ってしまう。人生そんなものだ。
「もっといいチョイスがあるのでは?」という「もっともっと」な状態だと、「もっと」が手に入ってもさらに「もっと」を求めると思うんです。
「もっと」の先には「もっと」しかない。
「もっと」「よりよい」を考えすぎるよりも、目の前にあるものを受け入れた方が、いろんなことがうまくいくんじゃない、って感覚です。
流れに身をまかせるとどうなるの?
まず、否定することが減る気がします。
ある種、何がおきても大丈夫という感覚は、どんな人に対しても同じような感覚に近くなるはず。
否定ばかりしちゃうと疲れてしまう。「悪い」ってきめたのは、自分自身の何か。思い込みに反応しちゃって、否定、批判、ジャッジをしてします。
否定にエネルギーをつかうのではなく、自分がしたいと思っている方向にエネルギーを使えるようになるはず。
もう一つは、今この瞬間の満ち足りている感覚が上がると思います。
難しく言っていますが、流れに乗りたくて、乗っている、という感じ。
「乗りたい」という自分のしたいことに対してOKできているんですよね。
自分がなりたい姿に迎えているからこそ、進んでいる感覚とか、何かを抑えていないからこそ、ハッピになれるんですよね。
ちょっとダブル要素がたくさんありますが、、、
流れに限らず、「〜したい」ということにOKしてあげる。
その上で、考え過ぎずにチョイスしていく。
それこそが「流れ」に乗る生き方。
流れにのった生き方を体現したい次第です。
コロナでどんな流れが来るのか。どんなことがおきても大丈夫。そう信じて進んでいこうかと思います。
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