音楽制作の再開、絵の訓練開始、読書量の増加はTRPGが原因って話

TRPGを始めてから、かねてより趣味だった音楽に手を付ける回数が増えた。

更に、TRPGには「立ち絵」と呼ばれる、自分で作ったキャラクターのイラストなり画像を用意する文化があるのだけれど、「あーっ、なんか自分で描けたほうが格好いいな」と思ったので、ルーミスやらキム・ラッキやらの技法書を取り寄せて、絵の基礎訓練を始めた。

そして、もともと好きだった読書だが、その幅が広がった。歴史とか文化、民俗学的なものにはじまって、ぜんぜん読んでいなかったSF小説やミステリ、もともと大学で勉強していた社会学近辺の社会科学に関する本とかも読み始めている。

音楽に関しては、宴規さん作『塔葬の国』、茶々丸さん作『オルターエゴ』の2作品をKPするときに、自分のココフォリアで使うBGMをすべて自前で用意した。
だいたい50曲ほど作ったことになる。
BGMなので、普通の歌モノを作るときのような労力はかかっていない。基本的にループミュージックなので単調な曲。だからシンセをただ「ファアアアアアアアアアアアア」って鳴らして、それを1曲とカウントしているものもある。
曲のテンションを一定に保ちながら、シーンに溶け込んでゲーム内容に没頭できるようなラインというものを意識しつつ作ったりしたので、あとで曲だけで聞くとちょっと物足りない感じがする。
思い出と一緒に聞いてくれればいいなって思う。
約4ヶ月間という期間で、これだけの曲数を作ったことは今までに無かった。人生の夏休み期間であるということもあるけれど、たとえば学生の夏休みだってこんなにたくさん作ってない。クオリティはさておき、ある程度の目的を持って楽曲を作るという経験を、趣味レベルであったとしても作ることができたというのは、ちょっと自信につながった。音楽チョットデキル。

絵に関しては、小学校でマリオとハリーポッターをマッシュアップした漫画を友人と作っていたことがあるんだけど、それ以来、まともに絵を描いたことが無い。正確には、高校生は美術を選択していたので、それが最後だったかな。
TRPGでカッコいい自キャラのイラスト描いている人を何人も知るにつけ、隣の芝が真っ青に見え、あんな風に絵を描けたらさぞ気持ち良いだろうと思ったので、思い切って恥を捨て、30歳から人物画の技法書を取り寄せて、絵をはじめてしまった。
始めてみてわかったのは、絵は人間には不向きであるということだ。歴史の深さや人間以外の動物ができない技能であるがゆえに、「人間らしい活動」と分類できるのだろうが、その作業工程や熟達度の遅さ故に、「本当は人間の脳には向いていない作業」であると思う。
AIが描いたほうが早い!という事実が常識になったこのタイミングで、絵に時間をかけるなんて非効率的であること甚だしいが、楽しみを知ってしまったからには仕方がない。
しかしミミズが描いたような作品ばかりが出来上がるので、もちろん、お披露目ははるか先だ。
ルーミス先生、キム・ラッキ先生、よろしくお願いします。

読書に関しては、キャラクターのバックボーンをどうやって作ろうかな~という作業段階で世話になることが増えた。今度、ヤクザのハンドアウトを貰うことになったので、『教養としてのヤクザ』という本を取り寄せたんだけど、これが面白かった。ヤクザも、いや、ヤクザという生き方を選んだからこそ、現代で生きるのは大変なんだなあと。
そして、TRPGをある程度やっていると、自分でシナリオを作ってみたくなってきてしまい、好きだったSF小説を読み直したり、読んだこともなかったミステリー小説を取り寄せてみたりしているんだけど、もっと早いうちからこういう本を読んでおけばよかったという作品がたくさんあるんで、弱かった「文学」というカテゴリーに対するモチベーションも上がっている。

働いていないのに、身体がいくつあっても足りない感覚に陥っている。
何と言っても僕には、社会復帰という優先順位高めのタスクがある。なるべく決まった時間に睡眠を取り、薬を服用し、運動をして、食べすぎず……という健康的な生活をするというのが、目下1番の「仕事」なんである。これらを両立させるには……?

読書は日中図書館へ行く(決まった時間外出するというトレーニングのため)のでそこで5~7時間くらいやっている。
残る音楽と絵だが、これはそれぞれ、1日2~3時間が限度だ。
TRPGのセッションがあると、基本的にはできなくなるけれど、TRPGは楽しいのと、他人が絡んでくるので優先することになる。忙しい!

それにしても、躁鬱でも、これだけ楽しみを見いだせているのは幸せかもしれない。相変わらずアップダウンはあるけれど、度合いや頻度も少なくなった。ゆっくり自分の人生を楽しんでいきたい。

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