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白と黒と、カラフルと。

今年に入って、「創作活動に全集中!」ってことで、とにかく、そこに時間と意識を持っていっています。めちゃめちゃ飽き性の私でも、「作る」って永遠にできるじゃんって感じで、時間があっという間に過ぎていきます。

私の場合、ただ、「色を塗る」のが好きな訳で、それができることなら、割とスライド可能なので、陶芸やったりキャンドル作ったり(どちらとも、絶賛修行中)、飽きることなく、「次は、あれやろう」「次は、これやりたい」って感じでいます。まさに、創る=生きるくらいのもので、頭の中は、常に、何を作ろう、あれ作りたいな、どうやって作るんだろう、、とか脳内は、そればかりです。


そんなこんなで、「私って、一体、何を描いているんだろう?」っていうのを考えたりもする訳ですが、私は、とにかく、『色』に関しては、並々ならぬ拘りがあって、多分、他人から見たら、激しくどうでもいいってことに永遠こだわり、そこにばっか時間を使ってます。私にとって、「色」は、生命そのもので、「どうしたら、この色たちが、不自由なく、息ができるか」「どうしたら、この色たちが、不自然じゃない生き方ができるだろうか」そんなことを考えながら、色を重ねています。


私にとって、欠かせない色は、何よりも『白』であり、白は、純白、浄化、調和の色。万能のようで、一番繊細でもあり、とても助かる存在でもあり、頼りすぎると調子が狂う、何とも愛すべき憎い色なのですが、この「白」と同じように、「色」には、色んな生命体が宿っており、毎日、毎日、色んな色を塗りながら、その生命力を生かすべく、1人あーだこーだしてます。


私は、この「色」たちを最終的にどうしたいとも特に思わないけれども、とはいえ、何かを作るということは、完成形がある訳で、私の中では、それは、まだ明確ではなく、「まぁ、死ぬまでにわかれば良いかな」という感じでいるのですが、それは、宮沢賢治が言う「イーハトーブ」のようなものだと思っているので、きっと、掴みようのないものでもあり、そして、既に掴んでいるようなものであるとも思います。


そんなこんなで、とにかく、私は、時に、「白」を頼りにしながら、何かしらの完成形を目指して、色を塗り続けているのですが、この前、読んだ本で、私の「色」に関する概念が壊れた一文を発見し、そこから、「え、そういうこと!」と何かが開けた感じもしています。

その本は、小説なのですが、私、小説って全然読めなくて、ストーリーの入った言語が全く頭に入ってこなくて苦手意識があったのですが、その本は、スラスラと読めました。というのも、作者は、児童文学を主に書かれている方らしく、その本もおそらく子供向け?っぽく、とにかく、表現描写が繊細なのに、わかりやすい!という感じで。(ちなみに、内容は、輪廻転生する魂の話しです)


それが、『カラフル』という本です。

まぁ、完全に、タイトル買いをしたのですが(色が付くものは、何でも気になる性分)、文中にも、たくさんの「色」が使われた描写が散りばめられています。


で、この本の中で、私の心を掴んだ一文が、これ。

この世があまりにカラフルだから、ぼくらはいつも迷ってる。
どれがほんとの色だかわからなくて。
どれが自分の色だかわからなくて。

私、これを読んだ瞬間、全く意味がわからなくて、「え、この世ってカラフルだったの?」と思ったのです。


私、カラフルな色の絵を描いてるくせに、「あさみさんの色彩感覚が好きです!」「色使いが好き!」とか言われるくせに、実は、この世は、真っ黒だと思っていて笑。ただ、本来は、真っ白い世界のはずなのにな、と思っていて。

それは、去年まで、企画をしたりセッションをしたりして人と深く関わる中で、私が、見出した、一種の答えのようなもので、「人の魂って、本当は、白(透明)なのに、すんごい、みんな、色が淀んでいるなー」と、人との会話(音)を、色(和音)で捉えてしまう私は、その淀がかった鈍い黒色のような色(不協和音)となるべく触れたくなく、今、創作活動をしているという流れもあるんですが、この一文を読んで、「え、本当は、この世は、カラフルなのか!」と。


で、よくよく考えて見ると、カラフルすぎて、色が混ざるから、黒になるんだよなーと。そう考えると、「あの子は、本当は、草原のような緑色を持っているはずなのに、なぜか、地面で勇しく生きる野草のような緑色になってるなー」とか、「あの人は、本当は、暑くも寒くもない、清らかな空色を持っているはずなのに、メキシコみたいな太陽の色を出してるなー」とか、そういうのって、「ちょっとした色の間違い」であって、それが、私には、不自然(黒)に見えるのであって、よくよくちゃんと見てみると、ちょっとずつ色を間違ってしまっていて、黒っぽくなってるだけなのかーと。それをちゃんと分解して見ると、混ざりのない本来の色が現れるんだなーと。


確かに、この世はカラフルすぎて、自分の色を見失ったり、本来の自分の色から遠ざかってしまうし、なんなら他の色に染まった方が良いんじゃないかとさえ思ってもしまうけれど、『自分の色』を見失わずに、その色を信じて放っていたら、「白」さえもいらなくなるんだよなーと。

そう考えると、色を混ぜることや、色を塗る行為が並々ならぬ尊い行為のように感じられて、益々、私は、もっと細かく世界を見てみようと思ったし、もっと細分化された多彩な色の世界で生きていこうと思えるようになりました。
そんなこんなで、きっと、私は、これからも祈りのように「白」を使うと思うけれど、一色一色の生命が繋がる絵を描いていきたいなーと思います。



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