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私は何者でもない。

『私は何者でもない。』

そんなことを思って落ち込んでいた一年前。

”私はまだまだ知らないことだらけで、あれもできないしこれもできない。”

この気持ちは、仕事にも慣れてきた社会人1年目の終わりから2年目にかけて強く感じていて、そんな自分に焦ったし、悔しかったし、責めて凹んだりしてた。

だけど、一年経って今思うのは『そもそも何者かになる必要なんてなかった。』ってこと。そして、『自分を知らなかったから、何者かになりたかったんだろうな。』とも思う。

私が考えていた”何者”とは、”私=〇〇”のように一言で表せる才能があるということ。しかも、その才能は周りの人から認めてもらえるようなものじゃないといけないと思っていた。

もしも、一年前の私と同じようなことを考えている人がいれば一度自分に問いかけてみて欲しい。

”何者かになった先に、あなたはどうなりたいの?どうしたいの?”

と。

私の場合すぐには答えは出なくて、1年くらいかけてしつこく何度も『私はどうしたい?』、『私はどうありたい?』と問い続けた。

そんな中で私が出した答えは『何者かにならなくったっていい。それよりも私は楽しく幸せに生きたい!』そんな気持ち。まだまだ漠然としているけれど、私の中では”何者かになる”ことよりも、”自分自身が楽しく幸せに生きていく”ことの方が大切なことだと気づいた。

それから『そもそも私はなんで”何者か”になりたかったんだろう?』と考えてみると、『周りの家族や友達、知り合いから認められたかった。』ただこれだけだったということにも気づいた。それと同時に、周りの人に認められたからといって、自分以外の人が私の人生に責任を持ってくれる訳ではないんだよなとじわじわ感じるようにもなってきた。

具体的な出来事があって気づいたというよりかは、日々自分の気持ちや感情に目を向けるようになってだんだん気づいていった感じ。

白馬の王子様を待っていてもいつまでたっても迎えにきてくれないのと同じように、幸せだって自分で掴みにいかないといつまでたっても来ないよね?

そんなことを思う今日この頃。

こんなことを言うと、理想や想像の世界に逃げまくっていた私にはグサッとくるものがあるんだけど、逆に言うと、幸せを掴みにいくこともできるし、何もせずにじっと待っておくこともできる。どうするのかは自分で選べるんだよね。

そう思うと自分で選べるってすごく幸運なことだなぁとも思う。

さぁ、小さな一歩を踏み出してみようかな。


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