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SMAPはPUNKできない。

 2015年。年末は紅白見て酒を飲みながらゲーム作ってた。
 司会は中居くんだった。紅白にふさわしい、ジャケットアップな恰好をしていた。
 うん? いや、ちょっと変わったところからジップアップしてる変なジャケットだな……いいや……すごい見覚えがあるような……
 カメラが引いたとき、わたしはその恰好が、ただのジャケットアップな正装ではないことに気が付いたのである。

 ぱ、パンクだ。


  ジャニーズの写真を貼る勇気はないので絵に起こしたのだがちょっと見て欲しい。

 正装のように見えていたジャケットは、よくよく見ればライダース。きっちり襟元まで閉められたシャツと上品なタイに合わせられたライダースジャケットは、いつものワイルドさは鳴りを潜めて違う何かを放ってた。
 下半身は、スカートみたいな飾りのついた真っ黒なパンツ。そのパンツの名はボンテージ・パンツ。パンクの王道アイテムも、大晦日ばかりは上品だ。
 しかし、引いて全身を見れば、ただ上品なだけには見えない、何かきらめく刃が見える。それはまさしく王室と、ストリートの雰囲気を併せ持った英国パンクスタイルだった。

 気が付いてからはもう、わたしはずっと中居くんに釘付け。

小林幸子がニコニコ動画の翼を生やそうが、


ゴールデンボンバーのダルビッジュが又吉と相撲を取ろうが、


中居くんばっかり気になってた。

 

 パンクは70年台後半に、英国で一大ムーブメントを起こしたカルチャーだ。SEX,DRUG,R'N'ROLLの合言葉に、若者たちは過激で破れた服を着て、ストリートを彷徨った。
 そんな落ちぶれた者のための服を、アイドルが…しかも国民的スターが紅白の舞台に着ているとは……いや
 っていうかSMAPってアイドルの中ではなかなかロックだよな、と。既存のイメージ破りまくってるよなぁ、と。
 司会をやったりバラエティをやったりと、既存のアイドル像を壊してきた中居くんに、その衣装はスラリと似合っていた。

 だ、なんて過ごした大晦日から少しあと、わたしは恐ろしくショックなものを見る。


SMAP公開謝罪事件である。


 ああ……なんていうことだ。
 物心ついたときから、アイドルといえばSMAPで、彼らはそれからずっとその位置にいた。たまには揺らぐことがあっても、ジャニーズという看板は盤石にそこにあってわたしたちにアイドルを見せてくれていた。
 だけどこの日、わたしはそれが全て演出だったと知ってしまった。


アイドルは死んだ。


 『ロックは死んだ』、とは非凡なるパンクスター、セックスピストルズのボーカル、ジョニー・ロットンが自らセックスピストルズを脱退し、セックスピストルズをぶち壊した時に放ったセリフである。

 パンクといえば、とりあえず、かのバンドを思い描く人も多いはず。
 この70年代のロックとは、生まれた50年台後半とは打って変わってすっかり商業主義にかわり、技術ばかりを追い求める演者と実際の若きリスナーとの間には壁があった。
 なんだか、俺たちのための音楽じゃねえな。すっかりビジネスに組み込まれちゃってつまんない、とは昨今のヲタクカルチャーに浸かる我々にも共感し得る気持ちだろうが、そこに与えられたのがパンクだった。
 持ってきたのはマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッド。後にパンクの父、パンクの女王と呼ばれる彼らは、バンドをやろうと画策してた若者に目をつけて、セックスピストルズを作り上げる……
 それはマルコムのもくろみ通り、世界を変えたけれど、パンク少年たちがいつまでも大人の指示通りになるワケもなかった。結局1枚のアルバムだけを残し、2年にも満たない活動期間でバンドは終了したのだ。
 そう、古臭くなったロックを壊し、ビジネスモデルに中指を立て、ついには自分自身さえぶっ壊してパンクは燃え盛ったのである。
 それは、最期は人の命さえ弾けるほどの激しさだった。
 わたしは不思議だった。どうしてめちゃくちゃに暴れまわったり、暴言吐いたり、最終的には自分で勝手にやめたバンドが伝説になっているんだろう?


 それは激しい怒りだった。
 ああ、どうしようもなく巨大で歯が立たない大きな何かに、わたしの何か大切なものが押しつぶされようと、蹂躙されようとしている。
 どうしようもなく歯がゆくて、もはや冷静でいられない。あのSMAP記者会見の時、わたしだけでなく多くの人がそんな気持ちになっただろう。
 その時の、激しい炎のような気持ち、きっとそれをPUNKというんだ。


 何故、米国ツアー半ばにバンドを解散させたロットンという男はパンクスターになったのか。 

 何故、若くして麻薬中毒で死んだシド・ヴィシャスはパンクの伝説と呼ばれるのか。

 その理由が理解できたような気がした。きっと彼らの行動は、わたしが抱いたこの怒りを晴らすようなものだったのだろう。時に激しい暴力や自棄は、わたしのような庶民にカタルシスを与えてくれる。
 当時、英国は貧乏だった。英国病とまで揶揄されるほど国は経済的に病んでいて、労働階級の若者は未来が見えなかった。そのくせ、上流階級はのほほんとしていて、1970年代だというのに貧富の差は広がるばかりだった。
 そんな時、そんな怒りを晴らしたのがパンクだったのだろう。

 でもね、できない。アイドルはPUNKできないんだ。できなかったんだよ。
 わたしはなんとなく、紅白歌合戦の時に見た、パンクファッションをすらっと着こなす中居くんを思い出していた。
 
 あの会見の場で……いっそ……

『中居くんがふと機関銃を取り出しカメラの前で撮影クルー及び裏側で見ていたメリー喜多川を射殺するも、木村くんが泣きながらリーダーを射殺、狂った銃弾はSMAPメンバー全員を撃ち抜き皆死亡したところに、みんなが笑顔だったときの写真が落ちてくる……』

みたいなことが起こったほうがまだ、マシだった……と思えるぐらいな……気持だった。
(『』内の文章は、ツイッターでバズったやつをうろ覚えで書き起こしています)


 ところで、紅白歌合戦のときに、パンクの女王たるヴィヴィンアン・ウエストウッドデザインの服を全身にまとったアーティストがいたな。

 誰だったかなーと検索したら。

またお前らかよ!

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