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ポケモン剣盾をレジェンダリー・ロックに見立てる

※今回の記事はこじつけから抜け出せてないところも多いので、与太話程度でお楽しみください
※ロックの話7割ポケモン3割という構成になっております
※この記事にはポケットモンスター ソード&シールドのストーリーネタバレが含まれます


ポケットモンスター ソード&シールドがあまりにパンクだったという話を以前書きました。

ポケモン剣盾のモチーフとなった国イギリスにとって、パンク・ロックというものは大切なもの。
道中手に入るファッションアイテムや、新ポケモンエール団に至るまでパンクのモチーフが点在しており、特にネズというキャラクターに至ってはパンクの精神を擬人化したようなレベルだった、という話をしたんですけどもね。
書き終わってしばらく経った後思った。
ネズがパンクなら、オールド・ウェーブ……蔑称は『スタジアム・ロック』『産業ロック』、讃えるならば『レジェンダリー・ロック』なのはいったい誰なのか、と!!


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ぽちっとなッとゲームを起動すると、はじまるのはジム・チャレンジのエキシビション・マッチ。
我らがチャンピオン、ダンデとスター選手であるキバナが闘い、彼らの健闘をジム・チャレンジ委員長ローズが讃える……そんな光景を、わたしはテレビ放映で見ている。
憧れるのだ。ああ、わたしはこれからジム・チャレンジに出発し、冒険を重ね、いつの日かテレビで見た彼らに出会い闘うのだ、と……
(なお、出発して5分後にチャンピオンであるダンデに出会います)
(なんならポケモン戦闘とか捕まえ方とか教えてくれます)
(お前オーキド博士ポジションなんかーい!!)



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この後、ジム・チャレンジに出発し数々の冒険を重ね、スタジアムでジムリーダーたちと闘うことになるのだが、それはどうやらテレビ放映されているようだった。


まるでサッカーの試合のようにポケモン・バトルが描かれている今作。ジムリーダーたちはスポーツマン……スーパースター、ファンタジスタであり、彼らもまた愛されているのだけど……冒険が進むにつれ、スポーツとしての側面だけでなく別のモチーフも垣間見えてくる。




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そう、それこそがパンク・ロックである。
パンク・ロックがあるならば、当然反逆する相手というものがあり、それはこのスタジアムの構造そのものだ。
マクロコスモスが支配し……ムゲンダイナのエネルギーを使用したダイマックスをエンターテイメントとした、完成されたスタジアムのショーだ
そんな目線で見ると、今までスポーツに見えていたスタジアムでのジムリーダー戦がまるで……『スタジアム・ロック』に見えてくるのだった!


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ところで、ロックとか言われて何を思い浮かべますか?


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髪が長くて革ジャン羽織ったおにーちゃん??



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それとも超絶技巧で速弾きされるフライングV?



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大ホールを埋め尽くす満員御礼ロック・スター?



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ボヘミアン・ラプソディ



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\リザードン・ポーズ/



チャンピオン・ダンデの胸躍る数々のパフォーマンス……カズダンスなど、ファンタジスタたちもパフォーマンスをすることがあるけれども、見ているとなんだかロックスターのようにも見えてきますね。

※カズダンス……90年代Jリーグ黄金期に話題になった、横浜FCに所属する三浦知良によるゴールセレブレーションのダンス





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長い髪とりっぱなアゴヒゲも、王様のような威厳を感じさせつつ……パンク・ロックが出てきてからはその対極にあるHR/HMのロックスターにしか見えなくなってきた……
いや、モチーフは王様なんだろうけども……)




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パンク・ファッションシリーズTシャツのひとつである『ナイトヘッド』はよく見るとチャンピオン・ダンデのフェイスプリントに落書きがしてあるんですね。





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まるで伝説のパンクTシャツ『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』のようです。(↑)コレ

ゴッド・セイブ・ザ・チャンピオンってか。



まるでエリザベス女王2世のように、『王の象徴』『権力の証』として扱われていることが察せられます。

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ガラル地方の王(セレブリティ)はシーソー兄弟だし……




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ガチの権力者はローズ委員長なんだけどもね。


あくまで、ダンデの大元のモチーフはスポーツのスーパースターや王様なのだと思うのだけど、この2つが混ざるとなんだかロックスターのように見えてくる。
本来の……政治的な意味だったり、経済的な意味での支配者を差し置いて、象徴的な意味での王者はやはり、ダンデでしょう。彼はめいっぱいマクロコスモスやムゲンダイナの欠片で行うダイマックスの支援を享受しながら、その仕組みの中で王者で居続けます。
そう、まるで『スタジアム・ロック』のように、産業的な仕組みの中でチャンピオンで居続けたのですね。


スタジアム・ロック(スタジアムロック)とは、1970年代以降の大会場を中心とした派手なライブや、強いコマーシャル性を特徴とした商業主義的なロックを意味する用語である(Wikipediaより


……つまり『スタジアム・ロック』と揶揄されたのはハードロックやヘヴィメタルのことで、これらのジャンルはロック音楽市場が成熟した70年代前後に現れました。
60年代に培われたロック市場は花盛り、イギリスのレッド・ツェッペリンピンク・フロイドクイーンやアメリカのKISSエアロスミスなど、欧米で同時多発的に現れました。

ヘヴィメタルは色々と説がありますが、一般的にはイギリスのバンド、ブラック・サバスを始祖とする説が強め。
(それ依然にも、60年代のあのバンドのあの曲がこう繋がって、ヘヴィメタルの重低音の様式美が、とかあるんですが略します!!)

1970年2月13日の金曜日、アルバム『黒い安息日』はフィリップスの実験的な子会社、ヴァーティゴ・レコードからリリースされたーー(中略)
『黒い安息日』のジャケットに描かれたイラストは、イギリスのB級サイコ・ホラー映画を思わせた。荒れ果てたイギリスの田舎家のまわりにやぶが生い茂り、緑色がかった魔女が佇んでいる。ジャケットのインナーに描かれた巨大な逆さ十字には、ゴシックホラーふうの薄気味悪い詩が刻まれている。
——彼らの音楽は、遠い昔の声を現代によみがえらせ、人間たちが引き起こす紛争を、ニュースとして報道される時事問題としてではなく、神話の中の戦争として劇的に表現した(『魔獣の鋼鉄黙示録』より)


ボーカルのオジー・オズボーンいわく「人を怖がらせる音楽をやりたかった」とかで、モチーフとして黒魔術だとかホラー映画が引用されています。

そんなヘヴィメタルは、時がたつにつれて多くのバンドが現れ、多くのサブジャンルに分かれました。
やがて、悪魔や魔女などのケルト民族的なモチーフは、壮大なファンタジーの世界へと昇華していきます。




そして現れたのがクソダサジャケットです!!


ドラゴン~~

謎の騎士~~



ドラゴン・ナイト!?




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『ドラゴン』『騎士』などの伝統的なファンタジーモチーフというとナックルシティのジムリーダー、キバナを思い浮かべますね。
ゲーム起動直後のエキシビションマッチに出ているのもあり、ジムリーダーの代表格という趣がある人です。打倒ダンデに一番近い男と言われていますしね(まぁ倒すのはこのわたし、主人公ちゃんなんですけどねー!)



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また、謎に配信映えを狙いまくり。キュートなパフォーマンスを繰り出します。テレビの向こうのおねーさんたちもメロメロだよ!!!
(試合中に自撮りをする男・キバナ)



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切り札ジュラルドンの特性は『ヘヴィメタル』!
(最終試合やクリア後は『ライトメタル』らしいですが)




つまり、イギリスの伝統的なファンタジーモチーフの『王』『騎士』……つまり戦争を喚起させるものや、『ドラゴン』……欧米では悪魔と同義語の幻想生物……を含み、そこにスポーツや配信などのエンターテイメント的パフォーマンスを付け加えて、対立軸にパンク・ロックを与えると、もはやそれはハードロック・ヘヴィメタルと化すわけです。



いったいそれはなぜか?
まずはファンタジーモチーフから見て行きましょう。数々のクソダサッ……ヘヴィメタルのジャケットを眺めればわかるように、中世ファンタジーとヘヴィメタルは切っても切れない関係でした。
やっていることはファンタジーと対極なのに不思議ですよね。

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ハードロックもヘヴィメタルも、ヒッピーという60年代の若者文化からの流れを汲んでいます。



ドロップアウト・ムーヴメントで、60年代後半のアメリカは高度経済成長にかげりが見え始め、豊かな社会の裏に潜む環境破壊や東西冷戦、ベトナム戦争の泥沼化による世論の反戦感情、政治的不信といった問題を抱えとても暗いムードに包まれていた。兵役と死の恐怖におびえる若者たちは次々のサラリーマンをやめ、有名大学をやめた。
—―67年の夏には45万人へと膨れ上がった。彼らはサンフランシスコをはじめとするウエストコーストにコミュニティを作り放浪を繰り返した。
——セックス、ドラッグ、ロックンロールを愛し、「武器を取るよりも花を飾ろう」「ラヴ&ピース」を合言葉に、物質文明の否定、自然回帰を呼び掛けた。(『ストリート・スタイル』より)

つまり、資本主義に染まり生きづらくなった社会を棄てて自然に還ろう、精神を大切にしよう、ラブ&ピース……ということで、世界規模となったカウンターカルチャーでありました。社会……あたりまえの世界に反逆をする、若者たちの姿です。アメリカを中心に引用しましたが日本にも波及しましたし、もちろんイギリスにも及んでいます。
ビートルズって、最初はこざっぱりとしたマッシュルーム・カットなのに後期はひげがモシャモシャですよね。イギリスのヒッピームーヴメントであるサイケデリックに傾倒していった証であります。
長く伸ばした髪やヒゲも、元々は『髪をきっちり整えて出社しよう』的な、そういうものに反抗しての自然体なのですね。



自然を愛する彼らには多くのバイブルがありました。
ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』や……

指輪物語です。




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そう、指輪物語のファン層にはヒッピー及び、その流れを汲むハードロックやヘヴィメタルのバンドたちも含まれており……ブラック・サバスが表現したケルト神話的恐怖を、ファンタジーへと昇華させていったのです。

1960年代後半には反体制文化のバイブル的存在になっていた(事実、ウッドストック[1969年にニューヨーク州で行なわれた野外ロックフェスティバル]はホビットやエルフ、ガンダルフの衣装を身につけた人で溢れていた)。1970年代に入ると、レッド・ツェッペリンやラッシュなどのロックバンドが『指輪物語』にのめり込み、1977年にトールキンの『シルマリルの物語』[邦訳評論社刊]が出版されると、「トールキニズム」は新時代に入った。





映画『ヘヴィ・トリップ 俺たち崖っぷち北欧メタル!』という映画では重要な局面で【北欧ヴァイキングのロールプレイングを興じている人々】が出てくるのですが、これもヘヴィメタルにとって中世ファンタジーモチーフが原点であるからなんですね。
とくに北欧の場合、ヴァイキング・メタルなんてのもありますし。



「ヘヴィメタルを喰らえ!!」で有名な映画『デビルズ・メタル』も、ヒロインがヘヴィメタルに目覚める時に謎の女戦士みたいな格好になるし、最終的には悪魔と戦うわでファンタジーモチーフが強いですね。

(まぁ、ヘヴィ・トリップはフィンランド製、デビルズ・メタルはニュージーランド製でイギリス関係ないんですけどねー!)
(北欧はとっても有名なヘヴィメタル王国で、石を投げればヘヴィメタル・バンドに当たると言われておりますね)


意外にもファンタジーと縁があったハードロックやヘヴィメタル。
次はスポーツ的で配信と相性がいいパフォーマンスについてですが、これはもう説明することもないでしょう。
ハードロックカフェなどで、もしレジェンダリーなバンドのライブ映像を見たことがあるのなら、その派手さ、巨大さに圧倒されたことでしょう。ホールやスタジアム級の座席をすべて埋めてのロック・コンサートの迫力たるや、言葉では説明できませんね!




派手なライブ・パフォーマンスといえばHR/HMの他、ピンク・フロイドのようなプログレッシブ・ロックも有名です。
キバナもキメゼリフでピンク・フロイドの邦題曲名を引用しています
(この曲の原題は『One of These Days』といいます)


プログレッシブ・ロックですが、名前の通り前衛的なロックであり時に対極に位置するはずのクラシックやオペラ、またはジャズなどの伝統的な音楽との融合をためしたりもしました。
天才肌で高い技術を持っており、歌詞のないインストゥルメンタルや複雑に構成された楽曲を誇っていました。

また、イギリスに限ったことですがバンドメンバーは中流階級出身者が多く、中流階級のロック、などとも揶揄されました。
キバナも、ナックルシティの城をかまえた佇まいと、平常時のしぐさから育ちが良さそう、だなんていわれておりますね。





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ガラル地方ですが、ワイルドエリアを隔てて大きく3つにわけることが出来ます。
エンジンシティを中心とした、草・水・炎のエリア。
ナックルシティを中心とした、竜・悪・フェアリー・(あとはバージョン違い2つ)のエリア。
そしてシュートシティとなっているわけだけれども、なんだかエンジンシティ周辺はスポーツや自然の純度が高く、ナックルシティ周辺はロックやおとぎ話、演劇(ポプラさん要素)などのイギリスの文化面が強調されている気がしますね。

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バージョン違いリーダーなのでストーリーにはかかわりはないものの、マクワとか完全にロックですね。岩タイプなだけに。彼もまた、写真映えを……メディアを意識しているところがあります。
ハードロック クラッシャー!




さぁ、スタジアム・ロックと言われるハード・ロックやヘヴィメタルがファンタジーに通じプログレッシブ・ロックが中流階級や伝統的な音楽と通じ、そのどれもがスタジアム・ロックの名の通り、『配信』ということに重きを置いているというものを見てきました。
そのようなスタジアム・ロックは、なぜパンク・ロックに批判されることになったのでしょうか?
だいたいの理由は以前の記事で記しましたので、今回はさらに深く読んでいきましょう。スタジアム・ロックが批判された理由として、ひとつは『産業化』……

70年代半ば、現在のようなスケールではないにしてもロックは産業としてすでに安定したものとなっており、大物アーティストたちを中心に展開する確立された構造になっていたことがある。一定のペースでリリースされるシングルやアルバム、それに伴うテレビ出演やライヴ、ツアーといったプロモーション活動が行われ、ライブ会場も大物になればなるほど大型し、作品もまた制作に数か月から1年も要するようになり、レコーディング設備、機材も高価なものになって、リスナーの生活や現実とは剥離したものになっていった。(『パンク・レヴォリューション』より)

元々、ロックはカウンターカルチャーでした。
ヒッピーの長髪は社会規範からの反逆であったように……これから世界を作ってくのはわたしたちだ、という若者のきらめきがあったのです。




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けれど、そのきらめきは大きな挫折を迎えます。69年に起こったさまざまな事件が、ヒッピーの流行『フラワー・ムーブメント』の歪みや欺瞞を暴いてしまったのです。


『ヘルタースケルター殺人事件』……チャールズ・マンソン率いるヒッピー集団がハリウッドの女優を殺害した事件。
『オルタモントの悲劇』……ローリングストーンズのコンサートでヒッピームーヴメントの一部となっていたヘルズ・エンジェルズの若者が観客を殺した事件。

アメリカで起こったこれらの事件の他、イギリスでも70年にビートルズが解散し……他、様々な有名なアーティストが短い生涯を迎えていきました。
現行の社会を革命し、若者たちで新しい世界を作るのだと夢見ていた学生たちも目が覚めてしまうのです……「あれ??無理じゃない??」


しかし、あらゆる体制的な価値観を疑い物質社会からドロップアウトしていくラディカルな思想性は鳴りを潜め、時代と共存していく姿勢がそこにはうかがえる。
インタビューで、アルバムジャケットに家族の写真を使用した理由を聞かれたザ・ハンドのロビー・ロバートソンは、以下のように語っている。
「音楽と結びついて広まった、いわゆるヒップな考え方がありますよね……母親を憎めとか父を殺せとか。そんな傾向がこのごろあるけれど、あの写真はぼくはそうではないと宣言するものなのです。ぼくたちは両親を憎んだりしないのです」(『ロックミュージックの社会学』より)

もはや、反逆なんていうのは時代遅れ、今の日本でいうツッパリヤンキーみたいなことになった。ダサい行為なわけですね。



『社会への反逆』が挫折する一方で、着実にロック音楽市場は成長し、受け入れられていきました。
その結果、カウンターカルチャーとしての側面は失われていき、市場に見合った形へどんどんロックは変質していったのです。

たとえばレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジは自己陶酔型のジム・モリスンのパフォーマンスと自分たちのステージを比較して
「これは絶対に注意せねばならないのですが、われわれは決してエゴイズムの放浪を楽しんではいけないのです」と述べている。ボーカリストのロバート・プラントも「思想や主張を両手一杯に抱えたままステージにあがる」モリスンの独善性を批判し「楽しい時間を過ごすためにお金を払ってコンサートにやってくる」聴衆に失礼であると述べている。(『ロックミュージックの社会学』より)




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ロックは、踊るものから鑑賞するものへ。

こうなってくると、ロックはすでに『鍛錬を積み、一流の腕を持ち、ビジネスにもふるまえる職人のもの』になっていって……若者は観客でしかなくなったのでした。




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そう、ねがいぼしが降ってくる運命を持ち……既存の大人に推薦されなくては挑戦できないジムチャレンジのように。
マクロコスモスの城の上に居るガラル地方、そしてその象徴であるダンデのようです。



そうして70年代後半、新しい世代、労働階級の若者は貧困に喘ぎながらふと、テレビでHR/HMやプログレッシブ・ロックを見ます。
……そこらへんのあいつは……アーティストのパフォーマンスや派手な特攻、演出に魅了されている。でも、こんなロック・ショーは俺に向けてはやっていない。これは俺の音楽ではない……
そんな思いに駆られたのでしょう。わたしもバンギャルの端くれ、当時はやりのアイドルや感動的な曲を歌うアーティストをMステで見ながら「けっ」だなんて悪態をついたものです。
そして、彼らはパブに向かい、そこでパブ・ロックに出会い、自らも演奏し始めるというわけなのでした。


けれど、派手なパフォーマンスや配信映えを意識しても……考えてみると、保守的で大衆的、産業ロックと言われようとハードロックやヘヴィメタルですよ?


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コープスペイントとかしちゃってるわけです。全然大衆的じゃないやんけ!!!いまだにオカンに顔をひそめられるわこんなん。


産業的で、それゆえにメディアに載りやすい、というのはもちろんメリットでもありました。
特に……ライブハウスやパブに行くことすらできない、でも、学校にも馴染めない、不良にもなれない、普通にもなれない、そんな少年少女にとっては。




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ポチっとな、とテレビをつけるとそれはMTVだった。
何やら変な恰好をしたバンドが、やたら大きな音を奏でてやたら叫んでいる。聞きとれる歌詞は陰惨なのに、音楽そのものは何だか愉快だ。
学校でイケてるクラスメイトが聞いているポップスや、お父さんが聞いてるカントリーとも違う。これはなんだろう……
憧れるのだ。ああ、もしわたしに才能があって、今抱えている苦しみを、大きな音に載せて解放することが出来たなら……それはきっとこのような、騒がしく、重苦しい音楽になるのだろう……


今でこそカジュアルに親しまれてますが、ライブハウスというのは昔、不良のたまり場で気の弱い少年少女が近寄れるような場所ではなかった。
そこで、メディアでの放映が重要な意味をもつようになったのです。
そういう意味ではハードロックやヘヴィメタルは確かに大衆的でした。テレビを付ければすぐに見られ、内向的な若者にも届きやすい、反社会的な音楽だったのですから。






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スタジアム・ロックを批判したパンク・ロックですが70年代後半、パンク・ムーヴメントによりパンク自身もまたメインストリームに押し上げられます。
その結果、多くの若者がパンクに出会い、感銘を受けましたがムーヴメントとしては二年も続かなかったのです。

しかしまったく逆説的なことだが、1980年代に入るとパンクはその濃密さゆえに、ロック文化そのものを解体する役割を果たすことになってしまう。
——アンチ中央、アンチ芸術の側面を持つわけだが、それを共通参照体として遵守することによって「ロックの死」を宣告せねばならないという倒立的な事態が生じたのである(ロックミュージックの社会学」より)

そもそも、構造として長生きできませんでした。食っていくためには産業として確立する必要があるのに、そのことを批判しているわけですから、ムーブメントとなって自身がメインストリームになった時点で矛盾する存在になってしまったのです。
シャッターを下ろしたスパイクタウンのように、どん詰まりです。





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セックス・ピストルズのボーカル、ジョニー・ロットンは言う。セックス・ピストルズというバンドが解散するときに——


「ロックは死んだ」と。


本当にロックは死んでしまったのでしょうか?

いいえ、パンクは重要なことを成しました。それはポケモン剣盾でも重要なキーワードである……世代交代にあります。

ロックは死に、そして生き返りました。


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スタジアム・ロックは偉大で、メディアに載ることで多くの少年少女を救ったけれど、その為にカウンターカルチャーの牙を棄てざる負えない。ショーとして、エンターテイメントとして完成されるために、企業が作った手のひらの上で踊り切るのである。

パンク・ロックは革命で、ロックが忘れたカウンターカルチャーを思い出せたけれど、そのために長生きすることはできなかった。
反逆を成し遂げるためには、ムーブメントを起こしメインストリームとなった自分自身をも殺す必要があったのだ。



70年代後半、パンクがプログレッシブ・ロックなどを批判し、そして自身も死んだ後……80年代、ニューウェイヴの時代がやってきます。

次々と登場してきた新しい才能たちは、こだわることなくメジャーシーンに活動の場を求め、成功を収めていった。それもメジャーのレコード会社やプロダクションがマーケティングしてヒットさせたようなものじゃなく、直感と自分たち美意識を思う存分に繰り広げてヒットにつなげたのがたくさんでてきたのだ。しかもイギリスだけじゃなくアメリカのチャートを座席するアーティストたちが現れ、イギリスの音楽シーンは活性化した。
パンク以前の大物たち中心の停滞したシーンのことを考えると、それは音楽業界全体にとって良いことだった。(『パンク・レヴォリューション』より)

パンクはその独立性から、既存のレコード会社ではなくインディー・レーベルを立ち上げました。また、それまでの常識を無視した行動は、業界に風穴を開け、風通しを良くさせたのですね。それは、後継者へと受け継がれていきました。


それをポスト・パンクと申します。
それはロック音楽のみならず、ファッションにも、そしてテクノヒップホップのようなダンスミュージックにも波及していきます。

20世紀ファッションにおいて大きなポイントとなった「パンク」が現れました。
「自由な考えを持ち、常に新しいものを求めてよりよく変化し、自分の手で新しいものを創造する」
といったパンクの精神は旧態依然としたファッション界やメディア界に一石を投じ、ファッション、音楽、グラフィック、アート、政治、文学などにおいて大きな影響を及ぼしたのです(『ファッション・スタイル・クロニクル』より)

技術面やエンタメ性ばかりを追っていた大物アーティストたちも、パンクからの批判を受けイギリスではNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)というヘヴィメタルの新しい風が吹きます。

そして90年代、アメリカのシアトルでパンクの流れを汲むオルタナティブ・ロックによるグランジ・ムーブメントが起こり……そこでヘヴィメタルは初めてパンク・ロックに『敗北』し、固く守ってきた様式美にグランジのテイストが刻まれ、ニュー・メタルが生まれることになるのです。
(オルタナティブ・ロックにも破滅の物語があるのだけど、記すと一万文字ぐらい行くので略)
これらのことは、パンクが及ぼした影響のほんの一部にすぎません。


ポケモン剣盾、殿堂入り後の世界では様々なものが世代交代していました。
アラベスクジムはポプラからビートに。
ポケモン博士マグノリアからソニアに。
スパイクタウンはネズからマリィに。
そしてチャンピオンはダンデから主人公に、です。
若い彼らは大人たちの作った世界を継ぎ、より良いものにしていきます。

ポケモン剣盾の物語は、大人の庇護下にあった子供たちが、その構造を抜け出して自らの手で未来を手に入れる物語でした。
その目標としてスタジアム・ロック……偉大なるレジェンダリーがあり
その導きとしてパンク・ロック……危険ながらも独立への道を歩ませる反逆者がいるのです。


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井上氏は文学や言語、記号論からポケモン剣盾を考察しているのですが、最終的な結論はロックでの考察と同じ『世代交代』や『大人と子供の対立の話』(ロックではメインストリームとカウンターカルチャーの対立、と呼んでおりますね)になるんですよね。
全然視線が違うのに面白いなぁ。こちらの記事も逸品なので是非!
普遍的な題材を、『ロック』の他、考察される様々なモチーフを用いて描いている……うーん、ポケモンっていいゲームですね!!


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普段はゲーム作ってるよ(宣伝)




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