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あのyujiさんが横浜を、神奈川を語っている!! 2021.05.24

神奈川県、横浜市。

ヨコハマ。ワタシの生まれ育った故郷。

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ヨコハマと言えば、このイメージ!笑


横浜…といっても、実家が位置するのは、横浜の西側。横浜の端っこ。電車で2駅くだると、そこはもう鎌倉市に入る位置である。都心部よりも気温が低い。空気が澄んでいて星がきれい。基本的に山を切り拓いているので、緑豊か。 

そんな、『横浜のチベット』と呼ばれる土地で、ワタシは家族と、3歳からの25年間を過ごした。


ワタシが子どもの頃は、畑や田んぼがたくさんあり、まだ狐が出るような田舎だった。木登りをしたり、原っぱで遊んだり。幼少期には、しっかりと外遊びをしていた記憶がある。最寄り駅が作られたのも、小学校低学年の頃だった。駅はできたが、周りには何もなく。途中から、コンビニが1軒でき、次にはKFCがやってきた。

やがて、小学校半ば頃から、原っぱが次々と宅地に変わり、マンションが立ち、駐車場になり。あっという間に開発が進み、遂には当初からの予定通り駅前には『億ション』が立ち、デパートができ、スタバやイタリアンのお店ができ。丸々ひとつの、大きな街ができあがっていった。

そんな、農村が街へと変遷を遂げる中で、幼少期から中学、高校生時代を過ごした。大学の4年間も実家から毎日通い、新卒で入社した企業へも実家から通っていた。(新卒入社の企業は、神奈川県内各地での配属だった)

ちなむと。ワタシは28歳の時にやっとw親元を離れてひとり暮らしを始めるのだが、その時には都内の企業に勤めていたけれども、それでもやはり住まいは多摩川を渡れず(神奈川県と東京都を分かつ川が多摩川)。ひとり暮らし先も、横浜市内を選んだ。横浜市の一番都内寄り、港北区。本当に横浜が好きすぎて。笑

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実家の最寄り駅から、JR横須賀線で2-3駅くだると、鎌倉。鎌倉の雰囲気が好きで、実家暮らしの頃は、仕事が休みの日には、ひとりでもよく鎌倉に行っていた。その頃は平日休みの仕事をしていたので、平日昼間の空いている海を見ることが好きだった。

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そして、異国にいる気分になりたい衝動に駆られると、横浜中華街にしょっちゅう行っていた。中国語や台湾語?が飛び交う、賑やかな街、ガチャガチャとした喧騒と生活音が、まるで旅をしているようで、心地よく。用事もないのに中華街を歩き、食品店や雑貨屋をのぞき、中国茶を少し購入したり、食材や中華菓子を求めたり。手相もよくみてもらったな。手相観のおじちゃんには、本当に励まされたものだ。あの人のおかげで、その後の人生が好転したのかもしれない。いまはどこにいるだろうか。その節はありがとうございました。

中華街の変遷も見てきた。私鉄みなとみらい線が延長し、中華街にダイレクトに最寄り駅ができたため、人の流れが劇的に変わった。それまでの最寄り駅だったJR石川町から中華街を結ぶ道は、かなり人通りの少ない場所となり。逆に、それまで裏道でひっそりしていた通りが、一気に活気付いた。商売への影響も計り知れない。

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そんな、横浜が。神奈川県が。

なんと。yujiさんに取り上げられているではないか‼️‼️‼️


ワタシの敬愛する星よみ師のひとり、yujiさん。

故郷のことを懐かしく想いながら、yujiさんの文章を読んでゆく。

…そっかー!!!

神奈川県は、射手座的なんだわー!!!




…ということで。

ワタシの故郷愛のお話でした。なんだろ急にw!ノスタルジックな❣️ ま、たまにはよしということで。

ブログ内の写真も、以前にワタシが撮ったものを掲出いたしました。懐かしす。


もうまもなく、5/26の夜にはいて座にて満月🌕を迎えるので。その作用かしらん。



なんであれ、育ててもらった故郷には、本当に感謝しています。

I LOVE YOKOHAMA🧡


今日も読んでいただきありがとうございます!

#毎日note


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