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『現地のニーズを知らないと意味がない』相手と対等な形での国際協力【ACEトークvol.2:前編】

※2021年5月28日にYouTubeライブ配信した「ACEトーク」のレポート記事です

世界の子どもを児童労働から守るためNGO職員として活動しているACEスタッフたち。なぜこの仕事についたのか?何を感じ、何を思いながら日々業務に向き合っているのか?毎月一人ずつACEのスタッフをゲストに迎えて仕事にかける思いや、NGOで働くのってぶっちゃけどう?というようなお話を、ACE啓発・市民参加事業の杉山綾香と青井彩乃が司会として聞いていきます!

大好評第二回は「国際協力わたり歩きスタッフ」ゲストは赤堀友希さんです!

赤堀友希さんのプロフィール

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JICA、開発コンサル、NGO…国際協力わたり歩き

杉山(司会):赤堀さんは今年の1月からACEに入ったので、半年経つくらいだと思うのですが、ACEに入る前は直近では何をお仕事としてされていたんですか?

赤堀:ACEに入る前は国際協力機構(JICA)で、日本の企業さんが途上国に進出するのを支援する事業があって、その案件担当という形でしていました。

杉山(司会):それは世界中、特に「この地域に限定して」というような担当だったんですか?

赤堀:アフリカが好きというのもあったので、東アフリカの担当にはなっていたんです。ただやっぱり日本の企業さんは東南アジアに進出するっていうところが多くて、どうしてもアフリカが少なかったので、アフリカを数件と、あとはベトナムとかインドネシア、ネパールの案件、東南アジア系を多めに、気づいたら担当していました。

杉山(司会):その前は…?

赤堀:その前は、またJICAとは違った立場になるんですけど、開発コンサルタント会社で働いていました。JICAの案件を実際に現地に行って実施するところ、つまり現地の「カウンターパート」と呼ばれている、政府の方々だったり、地域の方々と一緒に実際に活動をしている開発コンサルタント会社で、「業務調整」というのを主にやっていました。

杉山(司会):それってアフリカにも行ったりする感じなのですか?

赤堀:自分が担当する案件にもよるんですけど、私の場合はアフリカの案件は担当していなくて。なんか…、アフリカに片思いしているみたいな感じですね(笑)

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中央アジアのキルギスの担当になりまして。でも、今まで自分が知らなかった中央アジアの国に行けて、今までアフリカのことしか見てこなかったのはもったいなかったなっていう風に気づけたので、

いろんな国に目を向けて、いろんな国の歴史とか、開発の状況を知るのがすごく重要なんだなと気づくことが出来ました。

アフリカへの強い思い

杉山(司会):大学院ではアフリカの経済学を学んでいたということは、片思いとご自身で言っていたように、大学院の時はアフリカに思いを寄せてお勉強なさっていたという感じですかね。

赤堀:せっかく勉強するんだったらアフリカのことを、経済のことも学びたいなと思って。実際にどこまで学べたかは別として。(笑) 頑張って、学びました。

青井(司会):視聴者さんからコメント頂いてます。「ガーナの言葉はガーナ語ですか?」

赤堀:ガーナはチュイ語っていう言葉を使ってまして。チュイ語を使う民族がいるんですけど、その民族がガーナで一番…「強い」?どうしようなんだか「強い」だと語弊があるかな (笑)

青井(司会):赤堀さんはガーナ語喋れますか?

赤堀:挨拶とかしか喋れないです

青井(司会):挨拶喋れる…!喋れる挨拶は何ですか?

赤堀:How are you? とか…?

青井(司会):How are you? をじゃあチュイ語でお願いします (笑)

赤堀:チュイ語で、合ってるかなあ…

「オプティセ」って言います。 返ってきた言葉は「メホイエ」って言われるので

…そこで会話がストップする (笑)

青井(司会):1ターンの定型文があるんですね (笑)

赤堀:それしかわからないです (笑)

杉山(司会):そうやってコミュニケーションをとるのはすごく大事だと思うし、そういうのを駆使しながら過ごされていたんだなというのを感じますよね。

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『みんなと違うことがやりたい』で出会ったアフリカ

杉山(司会):大学もアフリカ関係だったのかなというのと、高校や中学あたりから「アフリカ」への想いというものがあったのですか?

赤堀:大学に進学するときはどちらかというと「国際協力」や「国際関係」とかっていう風に興味があったんですけど、どうやったら自分が関われるのかイメージがわかなかったんです。なのでとりあえず国際関係学を学べる学部を調べて、センター試験の結果とかでそれが学べるところに行った、という感じです。

その時はどこの地域のことを特に学びたいかまでは考えが及んでいなかったですね。

杉山(司会):ということは大学でアフリカと出会ったということですかね?

赤堀:初めて途上国に行って開発の現場を見れたのが、カンボジアのスタディツアーに行ったときでした。

その時に地雷で足をなくした人とか、元兵隊の人、ごみの山で子どもがごみ拾いをしているところとかを見て、自分が何をできるのかなって考えた時に

このまま就職するんじゃなくてもっと開発のことについて学びたいな

っていうのがありました。それで大学院に行こうと思ったんですけど、じゃあどの地域に特化するのかって考えた時に、自分の周りにいる方々が東南アジアの勉強をされていたので、人と違うことをやりたいなって思いがあって。あとは私ブラックミュージックがもともと好きだったのでそれでアフリカにも興味があって。

その時にSDGsの前身の「ミレニアム開発目標(MDGs)」の達成が一番困難だと言われているのがアフリカの地域だということを知って。それてアフリカについて、かつ開発だからやっぱり経済について学びたいなって思ったのがきっかけで、それが学べる大学院はどこかなって考えて選びました

国際協力へのきっかけ『現地のニーズを知らない支援は意味がない』

杉山(司会):国際協力に関心を持ったそもそものきっかけのコンテンツ、っていうお話がAyapediaにあったと思うのですが、それは何だったかって覚えてます…?しかも結構昔のことなんでしたっけ?

赤堀:そうですね、うろ覚えなんですけど、中学か小学校の時に、どこの機関か忘れたのですが、国際機関が出している子ども向けの記事か何かのコンテンツでした。

それが「日本から靴を支援として送りました。でも送った先の人たちはもともと靴を履く習慣のない方々だったので、送られた靴は結局使われないままになっちゃっている。だから、現地の人たちのニーズを知らないで支援をすると全く意味のないものになってしまうよね」っていう内容だったんですよね。

その時に、そういう風に困っている人達が世界に居るんだっていうことを知ったのも初めてだったし、困っている人達に自分が何ができるのかって考えた時に、自分の気持ちだけでやると意味がないんだなということもわかってすごく印象に残って。それから海外に目を向けるようになれた記憶があります。

杉山(司会):赤堀さんと仕事で話していると、ガーナの協力団体と本当に対等な形で、こっちがこうしたい!ではなくって相手のニーズに合わせたものをより良くすり合わせてやっているっていう、プロジェクトに対する姿勢が見えるなと思っています。

それの原点が、こちらが「こうだったらいいだろう」っていうのを押し付けるんじゃなくって、相手のニーズに沿ったことをするというのが、本当に対等な関係を築くってところですよね。それは赤堀さんのお仕事の姿勢からも感じるし、それがきっかけっていうところが赤堀さんを形作っているんだなと感じました。

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