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VISIONというアプローチ

自己探求という言葉がある。
この言葉にどのような解釈を加えるかは人それぞれだろう。
自らの限界に挑むアスリートだったり、自己表現の深淵を追求する作家やアーティストだったり、求めるものそのものを探す旅人であったり。
どの分野にあっても、深め深まるものはあるのだろうが、わたしにとっての探求は、「わたしとは何か?」という問いへの答え探しである。

この問いへのアプローチとして、4月から6月までの3か月間、”VISION”というトレーニングを受けていた。

言ってみれば、”わたしを知る旅“である。

VISIONを主宰する大島ケンスケさんから提供されるワークとは、いったいどんなものだったのか。VISIONというからには、恍惚とした満足感や達成感、盛り上がり高ぶり、揺さぶられる何かがあり、輝かしい、それこそ”VISION”を授けてもらえそうなものだ。
しかし、このVISIONコースは、それらの世界とは真逆のものであった。

“VISION”は授けてもらえるどころか、自分で見ていくもの。
そこで提供されるワークは、盛り上がり心が揺さぶられるどころか、ただただ、毎日コツコツと積み上げていくしかない、忍耐が試される、言ってみれば修行メニュー。
そして3か月が終わって、大金でも転がりこんだか、すてきな彼氏に出会ったか(わたし既婚ですけどね)、VISIONを見て現実が変わったのか!?と言われれば、「何も起こってはいない」と答えよう。

しかし、この3か月間で、わたしの内面が大きく揺れ、大きく成長し、大きく変わった。正確には、ずっとうなぎ上りの成長ではない。上がっては落ちて、落ちては上がっての繰り返しだったが、その変化は成長だとわたしは思っている。

ひとつ具体例を挙げるなら、自己価値についてだ。

上記の記事にも書いたようなことが起こる。(この記事にはたくさんの方にイイねしていただきました。ありがとうございました。)その後もこの自己価値観は揺らぐが、底値は確実に上がっている。

なぜなら、アンカリングの感覚がつかめつつあるからだと思っている。アンカリングとは、「錨を下ろすこと」なのだが、私の解釈では、「ここにある」というどっしりとしたものを感じている時間のことだ。「ここにある」の主語ははっきりとわからないのだが、とにかく、”存在としてある”ことへの重みが増している。と同時に、その存在の重みは軽くもあり、自分でも何を言っているのかわかったものではないが、とにかく、バランスがよいのだ。

VISIONにおけるワークでは、徹底的に自己観察に徹するのだが、この地道な取り組みにより、フラットな視点、静かな時間、何もない空間といった、よくわからないものが瞬間的に日常生活の中に起こり始め、それが自らの存在の軽さに繋がっているのではないかとも思っている。(説明してみたものの、何を言っているのかはやりわからないですね。)

とにかく、わたしの外側に起こることは何一つ変わっていないのだが、外側に見えないものは大きく変容していった。

ハッキリ言う。
VISIONはとてもパワフルだ。

ええ、大金は手に入ってないですよ。(彼氏もね)
けれども、とてつもない破壊力がある。
わたしがわたしと思っていたものが壊れていく。
「壊れていく」と言うと恐ろしく聞こえるので、言い方を変えよう。
今まで身につけてしまった不要なものが破壊され、元の姿に戻っていくということなのだと、わたしは今のところそう解釈している。

VISIONの3か月を終え、ノートにメモしていた自分の感想を紹介する。

今まで自分が自分と思っていた自分ではない自分になりそう。

わたしのノートメモより

そんなVISIONのワークだが、8月にも開催され、9月から再び3か月間のコースが用意されている。どうですか?壊しに行きませんか?

推しついでに申し上げておくと、このVISIONコースそのものもパワフルなのだが、この修行コースを受けている人たちが、なんとも佳いのである。自ら虎の穴に飛び込むような人たちなんだもの、全員変わり者だ。(ごめんなさいね。ほめてます。)この仲間たちとのシェアやワークが、とてつもない学びになる。気づきに繋がる。そして、やり遂げる力となる。おそらく第2期も愛に溢れた変わった人たちが集まると思いますので、よかったら是非ご一緒に。

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