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わたしはなぜサウナに行けなくなったのか

昨年の6月から、「金曜の夜はサ活」というのがわたしのルーティンとなった。(ちなみに「サ活」とは、「サウナ活動」のこと)

わたしの「サ活」とは、家から近い温泉施設へ出向き、①体を軽く洗う、②湯船につかって体を確認、③ロッキーサウナで汗をかき、④水風呂でキュッとしめて、⑤屋外でリラックスする。そして③④⑤のサイクルを数回繰り返した後、最後は⑥ミストサウナで体操をし、⑦湯船につかって終了というものだ。この2時間ばかりの時間がわたしにとっては「至福」の時であった。今年の三月までは。

なぜ今年の三月がターニングポイントなのか。その理由は簡単だ。わたしは今年の三月末をもって、フルタイムの仕事からいったん離れることにした。四月からは時間はたっぷりある訳である。

しかし不思議なことに、四月に入り、あれだけ自由になる時間がたっぷりあるにもかかわらず、「サウナに行きたい!」という気持ちがピタッと失せてしまった。定例の金曜日がやってきても、サウナの気分になれない。別段行きたくもないのだから無理に行くこともしない。そんなこんなで1か月以上が経っていった。

うーん、わからぬ。

なぜサウナに行きたくないのか。

この問いかけを自分に続けている間に、気がついたことがある。

わたしは、三月までは月曜から金曜までフルタイムで働いていた。週の最後の金曜夜のサ活は、がんばった自分自身へのおもてなし時間でもあった。確かにそれはそうなのだが、それよりも何よりも、自分の奥で強く認識していたものは、「1週間働いてきたことへの”ご褒美”」だったのだ。

4月からは時間に縛られてがむしゃらに働いてはいない。当然だが、「ご褒美にありつける」なんていうのは、もっての外。「こんな”怠け者”にはご褒美を与える価値はない」と思っていたのである。つまり、「働いていないわたしはサウナにいく価値がない」という訳だ。さらに言うと、「働いていないわたしという人間自体に価値がない」という、存在自体を否定する観念まで、なんということだろう、わたしは握りしめていたのである。強烈な自己否定をしていたし、サウナに行くことは罪悪感でしかなかったのだ。

がーん。。。わたしって、生きている価値がない人間なの?

しばし打ちのめされた後、冷静に考えてみる。

そもそも、「働く」とは何なのか。「働く」という定義について考えてみたところ、わたしにとっては、「お金を稼いでくる」ということが「働く」ということだと認識する。そういう意味であれば、現在、ちょこっとバイトをしているだけのわたしにとって、「どや~!金稼いできたどー!」という実感は微塵もない。

そうであれば、「お金を稼がない人」はみんな「働いていない人」と言えるのだろうか。

昔読んだ小林正観さんの本にこんな一説があった。

「はたらくとは、はた(側)をらく(楽)にすることだ」(うろ覚え)

つまり、周りの人たちを楽にしてあげることが「働く」ということだと言う。今でもその一節を覚えているのだから(うろ覚えだけれど)、当時のわたしの胸の中にしっかりと入ってきた言葉なのだろう。

「お金を稼ぐ」ことは、そのことで家族の生活が経済的に楽になるし、仕事に携わることでそこに関わるあらゆる人を楽にすることになるし、周りの人にお金を回すこともできるのだから、この「お金を稼ぐ」ということは当然「働く」ことに当てはまるだろう。

では、わたしが今、主にやっている家の掃除、食器の後片付け、洗濯等、いわゆる家事であるとか、子どもの送迎、町内会の仕事、車のメンテナンスなど夫からの頼まれごとはどうだろう。これに携わることで、周りの人が経済的に楽(らく)にはならないかもしれないけれど、彼らの生活を楽(らく)にすることには繋がってはいまいか。「はた(側)」を「らく(楽)」にしている、つまり、わたしはちゃんと”はたらいて”いるのだ。

さらに考える。
では、わたしが今楽しくやっているお絵描きや読書、発信などの趣味的な活動はどうなのか。これに携わることでわたし自身がハッピーでいられて、周りの人たちとおおらかに接することができるのだから、これだって間接的には「はたをらくにする」とも言えないか。いや、これはさすがに無理があるか。

そんなこんな、視点を変えてみると、

「なーんだ。」と思えた。

「はたらく」とは、お金を稼いでくることだけではないのだ。

わたしはフルタイムから離れた今も、周りの人たちのために”はたらけて”いるし、価値のない人間というわけではなさそうだ。わたしが存在することで楽になっている人たちがいる。

そう考えたら、体の力が抜けたような気がした。

そしてつい先日のことである。ふと、「あ~、サウナ行きたいな」という思いが浮かんできたのだ。

当然サウナに行き、約2か月ぶりの「サ活」を堪能してきた。

こうでなくちゃ。

握りしめていた思い込み、「働かない(=金を稼がない)人は価値がない」がポロリと落ちた話であった。

お読みくださりありがとうございました。


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