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無理をしないってどのくらい?

「無理をしない」がよくわかりませんでした。

頑張り過ぎない、ほどほどに
何を言ってもピンとこなくて。

手を抜くってことなのかな?
もうちょっとできるけどそこまではやらないってこと?
あと少しできるの一歩手前くらいでいいのかもしれない。

あとから「やり過ぎたな」って思うことはよくある。
急にぐったり疲れたり、具合が悪くなったり。

ヒーヒー言いながら必死に頑張るのが当たり前って思っていた。
そこにいる為には、そのくらいやらないといけないと思っていた。


だけど、もしかして他の人ってそこまでやってないんじゃないの?
適当に手を抜いていつも全力ではないんじゃないの?って思った。


で、頑張りすぎるのをやめようって思ったんだけど
やり過ぎないがよくわからなくて、オタオタしている。




自分が好かれてもらう自信がないから
必死に役に立ってなきゃて思っていた。

私の“何か”を好いてくれることはあっても

私そのものを好いてくれてることはないと思っていた。


私の何か

役に立つ自分であったり
有益な情報を提供できる自分であったり
面白く盛り上げる自分であったり

だから“何か”を必死にくっつけようとしてきた。

“何か”を得るために必死にやり過ぎてしまうのかもしれない。


そのままでいても受け入れてくれる人はいるってことに気づいていきたい。
私のそのままを面白がってくれる人の方を向いていたい。
少なくても夫は、そのままの私を好いてくれている。

夫はずっとそうだったけど、たまたまだよねって思っていた。
他の人に通用するとは思っていなかった。


だけど、それを広げていくような気持ちを持ったら
何か変わってくるかもしれない。


“何か”をくっつけなくてもいいって思えたら

無理をしないができるかもしれない
頑張り過ぎないでほどほどにするができるかもしれない。


何にもくっつけなくても
あなたのままで大丈夫だから
無理しなくて大丈夫だよ


そんな風に自分に言ってあげたいな


必死にヒーヒー言いながらやる自分じゃなくて
ゆったり余裕をもって笑顔でいられるくらいまで

それ以上は誰かを頼ってお願いしてみる。


余裕を持っていられる範囲


なんとなくそれで、無理しないができそうな気がしてきた。


差し当たり年末年始。
練習のつもりで、娘たちに手分けして買い物をしてきてもらう様に頼んでみた。

それだけで、どうしようかなと肩に入っていた力が
少し抜けて軽くなった様な気がした。


それでね、ちょっと思ったのが

頼むと、人に感謝できるなって思った。
感謝する機会を作れるなって。

1人でなんでもやろうとすると、感謝する機会も減っちゃうんだなって。



循環、循環して広がっていく感じ

今までは全部自分で止めてしまっていた。

(唐突だけど、ちょっと思ったので書いておこう)


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