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父への文句、パート2

今日はしつこいですが、続けて父のことを書いてしまおうと、隣町のカフェまでやってきました。家で書いていると、どんどん深刻になってしまいそうな気がして。

づらづらと恨み言を書くことになりそうなので、興味のない方は、どうぞスルーしてください。



昨日も書いた様に、父の行動を疑問に思うことは時々ありました。それでも、全てを否定してくる母親に比べると、肯定してくれることもあり、良い父親だと思っていました。いや、思い込もうとしていたのかもしれません。

父は自分をよく見せたい気持ちは強いので、表面上は良いことを言います。しかし結局は自分の考えが一番正しくそれに従うのが最善だと信じているので、「好きにしていい」という言葉には「私(父親本人)がいいと思ったものの中からなら」という枕詞がついていたんだということに、最近になってやっと気づきました。


彼は人の気持ちが全くわからない様です。わからないというより、考えたことがない気さえします。以前父と電話で話した時、母はどう思っているのか聞くと「知らない!」とだけ言われ、「この人は本当に人の気持ちは考えていないのだな」と思いました。自分に従うのが最善と思っているのですから、人の気持ちを考えないのは当然なのかもしれません。しかしそのせいで不快な思いもしてきました。

長女が生まれたお祝いの時、隅の方で私が母乳をあげている後ろ姿を撮った写真がありました。その私を真正面から見ている父が写っているのを見た時は、嫌悪感でゾッとしました。

私が女性の体に変わり始めた頃、脇を見せてみろと言われたことがあります。その時は何をしているのかわかりませんでしたが、変わり始めた体に興味があったのだと気づいた時は嫌悪感で涙が出てきました。

彼には全くデリカシーというものがありません、人に気持ちがあるということを知りません、自分の興味しか考えていません。気持ち悪いです。

それでもずっと、ひどい人だと認められなかった。私は認めたくなかったんでしょうか。


良いことをすることもありますが、それで自分がどう思われるかにしか興味がない様です。褒められていれば上機嫌です。
しかし父は、自分がしたボランティアについて、
「お金を払って行ってやったんだ」と言っているのを聞いてからは、
「こいつは違うな」と思い、素直に受け止めることはできなくなりました。

自分が動けなくなった時には、人に頼んでまでやろうとしました。頼まれた人にも迷惑なので

「そういうのはできる人がやればいいんだよ」と私が電話で伝えたら、後から

「アサは反抗期だ!自分はボランティアで死んだっていいんだ!」とブチギレていたそうです。

褒められ、承認されるのが生き甲斐だったのはわかります。勢いで言ったのかもしれませんが、それで死なれたら相手に迷惑がかかるという想像力はないのでしょうか。


私にはそんな父の行動は親切の押し売りで、

「ほら、やってやったぞ、感謝しろ!俺の力だ!俺はすごいんだ!」

そう言ってる様に感じます。


私は王様は裸だと気づいてしまいました。しかし裸だと言っても逆ギレされるだけです。わざわざ言って、私のエネルギーを使う必要もないでしょう。「素晴らしい洋服です」と褒めてくれる人がいるならば、それで気持ちいいままいればいいでしょう。

でも私は素晴らしい洋服と嘘をつくつもりもありません。滑稽だなと思いながら離れることは私のわがままではないと思います。私には私の幸せを選ぶ権利もあります。

「父と母に幸せになってもらいたい」と私を非難してくる人がいても、私は自分を犠牲にするつもりはありません。私は自分の幸せを優先します。


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父の中にはいつも怒りがある様でした。前にも書きましたが父は養子でした。祖母とは親戚だった様ですが祖父とは血が繋がっていません。父は二人を嫌っていました。何があったのか詳しくは知りませんが、逆恨みの様にも感じます。今住む家も祖父が買ったものだし、車を買ってくれたり、みんなを旅行や食事に連れて行ってくれたりと、色んなものを与えてくれました。それを感謝こそしても、恨むことはないだろうと思います。

父は被害者として生きているのでしょう。全て周りのせい、自分は悪くないと。その恨みと怒りは彼の生きる原動力だったのかもしれません。そうやって悲しみを隠していたのかもしれません。しかし祖父母に向けていたものは、本当は自分の母親に向けたかったのではないでしょうか。何で僕を捨てたんだって。


父も母も人のせいにして生きています。私もまたその様に生きてきてしまいました。そうやって犠牲者として生きていると、必然的に自分を攻撃した人を作ってしまいます。それで周りは敵ばかりと感じてしまったのかな、と思いました。


やってくれないと文句ばかり言わず、自分でやればいいじゃないかと思います。自分が行動してソッポをむかれるのが怖く、責任が自分にくるのも怖くて人のせいにしてしまったんじゃないの?両親だけでなく、自分に向けての言葉でもあります。


自分のことは自分で幸せにする。自分の幸せは自分で責任を取る。そのことにずっと気づきませんでした。


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家を二世帯にリフォームした時、費用は私たちが出しました。その時は相続で揉めてかわいそうに思っていたので当然と思っていました。

しかしその後も、家を建て直さないのかとか、墓とか、あれをしたいこれをしたいと言ってきて、まだ何かやらせたいのかい!まだ物足りないのかい!そういえば、リフォーム費用出したの、当然の様に思われているぞ!私の夫に感謝しろよ!私の夫は何もしないとか批判してくんじゃねー!とどんどん怒りが湧いて。昔のことまでさかのぼり腹が立ちました。

夫はそれは別にもういいよ、と言ってくれます。私も自分が納得してそうしたのだから、昔の自分を責める様なことはしたくありません。

その時はそれがいいと思った、よくやってあげたよ。親に感謝されなくても、自分がよくやったと言ってあげよう。感謝しろなんて言ったら親と一緒です。でもそう思っている自分もいます。感謝してくれるかも、褒めてくれるかも、そんな下心があったんですね。

私は自分が満足するためにそうした。そしてもうそれでいいだろう。自分の役目はそこで終わりでいいと完了させてあげよう。あとは自分で自分を幸せにしてくれ。

「私の恩返しはそこで終わり」それでいい



親に恩を返さなきゃいけないというのも変な話しだと思います。

だって私は子どもに恩を返せなんて思わない。それは返したい人が使う言葉では、と思います。でも、返すのが当然と思う人もいるんだな。

そう思ってしまう生き方は浅ましく哀れだな。


ずいぶんと恨み言が溜まっていた様です。お目汚し失礼しました。
最後にもう一声

「いつもえらそーにしてるけど、書いてみたらくそ親父じゃないか!ビビって損したわ!」


今日はこの辺で。

お付き合いありがとうございました。

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