いい子にならないで、自分を応援する大人になる
雨の金曜日です。おはようございます。
おはようございますと書いておいて、朝に投稿できないかもしれません。
さてさて、今週はイライラに囚われた週になってしまいました。
週の初めに母の言葉から嫌な気持ちが始まり、昔のドロドロ沼にどっぷり浸かった一週間でした。
梅雨の始まりと共にドロドロ、体に悪い!
ファイティングポーズがやめられない
ただイラついていた二日間
なんでだろうと考えていた二日間
そして「もうええわ」と思っているのに抜け出しきれていない今。
いつまでも考えてしまうのは、くせなんでしょうか。
それとも、許せなくて仕返しをしたいと思っている?
あいつらが悪いんだ!と、被害者が気持ちよくなってしまっているんだろうか?
また同じことを言われたら、今度はどう返そうかと考えている自分がいます。
ファイティングポーズがやめられなくなっている。
理想は、その時に思ったことを言うこと。
その瞬間は、感情に囚われて言葉にできないのもあるし、
いいひとであろうとしすぎて、言葉を選びすぎてしまうのかもしれない。
察してもらおうとする
何か相手の態度が嫌だなと思った時、自分だけはやるもんかと、より一層自分に厳しくなってしまう事があります。
相手への抗議のつもりでやっているなら、そんなの伝わるわけない。
自分がそうしようと思ってやっているなら、相手が変わらなくたっていい。
そうか、私は相手にもそうして欲しいという期待が入っているんだ。
確かに私は察して欲しいと思いすぎてきました。
HSPを知るまでは、自分が察しすぎている事に気づかずに、きっと周りにも同じことを求めていた。
はっきり伝えずに態度で表すことは、やっぱり子供の頃に身についてしまった悪いくせなんだろうな。
うん、これはちゃんと変えて行ったほうがいい。
伝えなきゃ、伝わらない。
別に怒る必要もないし、相手を非難することもない。
ただ、淡々と伝えればいい。
伝える努力もしないで、自分はいい人のまま、カッコつけたまま察してもらおうなんて虫が良すぎました。
いい子でいる
自分がいい人でいたいも入っている。
カッコ悪いところを見せたくない、汚いところを見せたくない
文句を言わないいい人でいたい。細かいことを気にしない大きな人に見せたい。
神経質だと思われたくない、めんどくさい人と思われたくない。
ああそうだ、だから言えないんだ。
だけど私は、人より細かいことが気になるし、音でも匂いでも言葉でも雰囲気でも過敏に反応する。
それを求めることはいけない事、という空気が昔はありました。皆んなに合わせろという空気がありました。違うことはいけないという空気がありました。
だけどそれは誰の都合なんだろう。管理する側にとって都合がいいだけの話じゃないですか。親子でもそれはあります、親にとって都合のいい子供でいろと。
私はいい子でいようと、我慢して頑張ってきたんだなあ。
誰にとってのいい子になるか
いい子って何んだろう
誰にとってのいい子なのか、相手を尊重した上でのいい子なのか。
それとも、その人の都合の、その人にとってのいい子なのか。
何をいい子とするかは人それぞれみんな違うはず。
いい子って何よ?いい子でいる必要はあるの?
一般的には、大人にとってのいい子、親にとってのいい子、先生にとってのいい子なんだろうな。
それに合わせることは、自分の心をつぶすことにもなる。
自分が大人になった今、誰かのいい子でいる必要はもうないんじゃないか?
誰かにとってのいい子でいることをやめて、置いてきた自分の心を迎えに行ってあげよう。
そして、自分のこころのそばにいて、自分の心を応援してあげられる大人でいたい。
いい子ではなくて、自分を応援する大人になろう。
親の言葉は呪いの呪文みたいなもんで、一瞬で私は無力な子供に戻ってしまうのかもしれない。
自分は無力な子供ではなく、自分をサポートする大人
これはどうしたら思い出せるだろう、
なーんか、いい方法ないかなーー
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