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40代、人生を振り返って

私はずっと自分のことだけ考えて生きてきた、そう、27歳までは。結婚して子どもを産んでから、人生ガラッと変わった。

子どもを産むまでの人生は、オペラやら歌曲を歌ってきた。アメリカの大学院まで出て、かなり専門的に学んできた。元来学ぶことが好きで、誰に何を言われずとも常に勉強していた。自分の知らない世界を知ることはワクワクするし、時間を忘れて没頭することが何よりも心地良かった。

1人目の子どもは発達がゆっくりで、意思疎通がなかなか難しいタイプだった。3歳での発達検査では「暑い時はどうするの?」の質問に「きゅうり」と答えた。まさかきゅうりが夏野菜で体温を下げる効果があることを知っての発言だったら素晴らしい、とは思うが(笑)言葉は遅かった。「こんにちは」は言えなくても、エレベーターの扉が開いて、そこに外国人がいると「ハロー」と言う。1年生になる時には1〜10まで言えなかった。迷路はスタートからゴールまで一直線に線を引き、迷路の意味は分かっていなかった。それでも努力家の性格だったので、何とか普通級でやってこられたが、現在は中学の支援級に在籍している。今は楽しく過ごしているが、詳しいことはまた今度。

2人目の子どもは、全く手がかからない子どもだった、3歳までは。1を教えれば10分かる、そういう子どもだった。1人目で育児の苦労を味わっていたので、普通の子育てはこんなに簡単で楽しいものなんだ、とそう思っていた、3歳までは。その後何があったかは話すまたの機会に話すとして、現在は小学5年になり、不登校3年目になる。

3人目の子どもは、賢く優しく頑固。3歳で一時期入院生活を送るが、医師から「なんでも言うことを聞く3歳児、今までこんな子はみたことがない」といわれるほど聞き分けが良かった。MRIをとるから動いちゃだめだよ、というと微動だにしないので睡眠薬は使わなくても良い、注射は怖くて泣くが腕は動かさない、という子どもだった。上の二人を見て育っていることもあり、空気や状況を読む力が人一倍あるが、謝罪はしない、同意がないものは一切行わない、というタイプだった。年長から不登園になり、現在は小学1年で不登校をしている。

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歌っている場合じゃない状況になった。

”完璧にこなしたい、一人大好き人間”が、思い通りにならない子ども3人との生活は、苦労の連続だった。育児には向き不向きがあると思ったし、私の性格には正直向かないと思った。

そうだ、非常勤講師だって始めたころは「いつ辞めよう」と毎日考えていたけれど、気付けば10年以上経ち、今まで教えた学校は6校にもなる。授業の題材を考えたり、生徒が新しい視点を教えてくれたり、そういったことが私自身の楽しみに変わっていった。今では「教師職、向いてるかもな」と思うようになった。

そう、育児も最近では「向いてるかもな」と思えるようになった。そう思えるようになれたのは何だろう…

noteを始めるにあたって、私は何を発信したらいいのか考えた。育児における気付きを書いたらいいのか、学校との関係について保護者視点から?教師視点から?展開するのがいいのか、はたまた歌の魅力を書き綴ったらいいのか…

どれか一つというわけにはいかない、という結論に至った。とにかくこの頭の中で日々蓄積されていく考えをアウトプットし、整理するためのnoteにしようと思った。子どもと向き合う毎日の中で、自分時間をこのnote執筆に当てようと考えている。


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