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わたしの雑誌遍歴

以前、マニアックな雑誌のオンラインショップ「Magazine isn’t dead」を運営している高山さんの紹介で、妻が原稿の執筆を依頼されたことがあった。媒体はフリーペーパー「dee's magazine別冊 あなたの雑誌遍歴を聞かせてください#2」というもので、25人の雑誌遍歴が紹介されている。執筆陣のなかには、あの岡本仁さんもいらっしゃり、非常に興味深い企画だった。
これを久しぶりに読んでいて「自分の雑誌遍歴もまとめてみたらどうだろう?」と思い立ったので、勝手ながらスピンオフ企画として展開してみることにする。

①年齢 ②出身地 ③職業 ④雑誌遍歴 ⑤エピソード ⑥マイブーム

①39歳(1984年生まれ) ②岐阜県岐阜市 ③会社員 ④週刊少年ジャンプ/週刊少年マガジン/週刊少年サンデー/週刊少年チャンピオン/月刊ジャンプ/ビッグコミックオリジナル/漫画アクション/週刊サッカーダイジェスト/GET ON!/ROCKIN'ON JAPAN/ROCKIN'ON/snoozer/MEN'S NON-NO/smart/BOON/SWITCH/装苑/relax/TOKION/STUDIO VOICE/+81/esquire/BRUTUS/CASA BRUTUS/SWITCH/広告批評/TRANSIT/groove/remix/ele-king/WIRED/EYESCREAM/Wax Poetics Japan/apartamento/COURRiER Japon/HUgE/&Premium/POPEYE/Them Magazine/VOSTOK/ ⑤自分は無自覚だったが、小中学生だった90年代は雑誌の黄金期だった。特にドラゴンボールやSLAM DUNK、幽遊白書などが同時に連載していた時期の週刊少年ジャンプの勢いは凄まじく、近所の駄菓子屋でフラゲするのを心の底から楽しみにしていた。また、それらの作品の連載が終了していき、明らかに衰退期に突入したことも強く印象に残っている。ドラゴンボールがいかに素晴らしい作品といえど、強さのインフレーションには限界があるため、人気があるからといって長期連載すればいいものではないことも感じていた。反対にSLAM DUNKは、山王戦で終わって本当に良かったと思っていた自分は我ながら可愛げのない子どもだった。そして、雑誌に本格的に興味を持ち出したのは遅く、SLAM DUNKの連載終了から約10年が経った頃。部活一辺倒でサッカーとミクスチャーロックにしか興味のなかった自分が、社会人になる直前にファッションにも興味を持ち出し、より詳しく知るために雑誌を読み込むようになった。特に気に入ったのが、制作を編集プロダクションEATer(右近享、柴田隆寛、大城壮平、高相朋基などが所属)が手がけていた2011年〜2013年頃の「HUgE」。枠組みはファッション雑誌だが、特集が「食」とか「本」だったりして、全然洋服が出てこなかったりする。それが粋に見えたし、興味が洋服だけじゃないことの方がかっこよく思えた。流行のブランドや洋服に対する知識があることもいいけど、それよりも音楽や文学に精通していたり、旅行を楽しんでいたり、仲間を大切にしたり、渋くて美味い定食屋に通い慣れていることの方に価値があると思えた。それまでは、学生時代にファッションに疎かった反動や自信の無さもあってか給料の大半は洋服代に消えていたけど、旅行やフェスといった体験や、古い雑誌やレコードにお金を使うようになって、大袈裟にいうと人生が充実してきた気がするし、「HUgE」と出会わなければそうならなかったと思う。などと書いていて気づいたが、書店をやろうと思ったのは、自分が「HUgE」の世界観に影響されて価値観が変わったように、何かモヤモヤした感覚を抱いている人へ、何かのヒントや道標になるようなモノとの出会いを提供したいと思ったからだ。それが、マニアックな漫画なのか、古びた写真集なのか、好きなアーティストのインタビューが載った音楽雑誌なのか分からないが、「HUgE」のつくり手たちのように媚びないスタンスで発信し続けたいということは分かっている。 ⑥最近のというよりは一生のブームとしてサッカーとフットサルをやっている。アラフォーになって思ったように体が動かなくはなっているが、60歳でかなりパンチの効いたシュートを撃ちまくっている方とフットサルをする機会があり、希望が見えてきた。球蹴りが好きでいられ続けたら、僕も20年後に大先輩のようにプレーしていられるはずだ。

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