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自分探しの旅 (2)旅立ちの時

今から30年以上前になるが、私は親元から遠く離れる瞬間を迎えていた。
大学を卒業し、私の意志で入社を決めた会社は、SD工業(仮名)という 関西系の会社で、入社後しばらくは関西勤務が決まっていた。東京育ちの 私に、いきなり関西勤務は厳しいと思うが、とにかく親元から離れたい  という気持ちがあったのかもしれない。

大学入試の時も、国立志望だった私は、わざわざ東北大学を受けたいなどと言い出して親を驚かせた。その時は周囲に反対され、結局、東京の慶応大学に進学した。しかし、その4年後、今度は就職という方法で、親の手の届かないところに行くという願望を果たした。

出発の日、母は東京駅の新幹線ホームで、ぎりぎりまで私を見送ってくれた。その時の母の顔は、今でも鮮明に思い出す。我が子にだけ見せる母親の顔だったと、今も思う。

しかし、私の心には、わだかまりがあった。物心つく頃、少なくとも小学校1年生の時には、完全な鍵っ子だった。誰もいない家に帰り、鍵を開け、テレビをつけ、家族の帰宅を待つだけの単調な生活を送る少年は、いつしか、子供らしい素直な心を失っていた。学校の行事があると、親は来てくれるかな・・と内心気になっていても、そんなことは気にしてないふりをしたり、困ったことがあっても、親はもはや良き相談相手ではなかった。問題は自分で解決するもの、というのが当たり前になっていた。一見物分かりがよく、怒られることはなかったが、自己主張したり、甘えるのが苦手だった。
母親に対し、「僕をほったらかしにしてたじゃないか!」という気持ちが 自分の中にあった。

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(つづく)

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