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自分探しの旅(5)終 全てを肯定し、受け入れたら見えてくるものがある

思想、宗教、習慣、言語、肌の色、顔の形、これらの違いは神様の趣味だろう。そして、神様はこれら多様な人々が、仲良く暮らしている光景を見たいのだ。私はそれを受け入れるために導かれた。

物事は起こるべくして起こる。私はただ、次の舞台設定の完了を待ち、合図があれば舞台に上がるだけだ。考える必要はない。なすべきことをする。

初めて味わったあの挫折。結核の療養期間中、私は自分の独りよがりな行動を悔い、もう一度やり直したいと願った。そして静かに再起の時を待った。あの時の願いが今の私へとつながっている。

私には、親から離れる十分な理由があった。離れたおかげで、私は自由に冒険することができた。そこから多くを学び、体験しているうちに、いつのまにか、親に対するわだかまりも消えていた。
母は子育ては落第だったかもしれない。しかし、情に厚い人だった。だからこそ私は道を外さなかった。私は、、この親を自ら選んで生まれてきたことを悟った。だからきっと、心にぽっかり空いた穴を埋める時が必ず来ることがわかる。その時こそ、親子として認め合い、やり直せるはずだ。

何もかも仕組まれていた。
全てを肯定したら、自分がどこに向かっているのか理解できた。


思えば、健(たけし)との出会いが冒険の始まりだった。健が私を、退屈な世界から、スリルのある魅力的な世界に誘い出してくれた。だが健は・・、今は私の中で生きている。彼が私の一部分になってくれ、今度は私の冒険に付き合ってくれている。健を退屈させるような人生には断じてさせない。

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(おわり)

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