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自分探しの旅 (3) 最初の試練と挫折

社会人になりたての私は自信家だった。アメフトで鍛えていたので体力にも自信はあった。だが、そんな私に、社会はとっておきの冷水を浴びせた。

日本企業のモノづくりの現場は実に泥臭い。              私は工場の生産管理を任されたが、時はバブル経済の真っただ中、作っても作っても追いつかず、現場作業者に無理をお願いする毎日。夏は40°を超え、冬は凍てつく寒さ。そんな過酷な現場で、まるで地べたを這いつくばるような仕事だった。ほぼ毎日、仕事が片付くのは深夜だった。

しかし、何故か弱音を吐かなかった。これは自分が選んだ道だったし、生来の負けず嫌いな気質のせいだったのかもしれないし、あとで身に着けた忍耐力のせいだったかもしれない。

3年ほど経過したある日、会社の健康診断で身体の異常が発見され、再診断を受けた。診断結果は「結核」という病気だった。            会社内にある薄暗い診療室の中で、産業医から言われた言葉は、「しばらく休まないとね」だった。私は最初何を言われたのか理解できなかった。  きょとんとしている私に、彼は続けて「それ取れよ」と、友人のような口調で指を指したのは、私が身に着けている防災具だった。その瞬間、それが、戦いの終了を告げる、天使の言葉のように響いたことを覚えている。
結核は法定感染病で入院が必要である。昔と違い、化学療法で治る病気ではあったが、長期間に及ぶ入院先としては、やはり、親の目の届く、東京の専門病院だった。抗う術はなく、私の冒険は、ここでいったん幕を閉じた。 一方で、母親は、私の帰還を喜んでいるように見えた。

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(つづく)

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