全身緑色の彼と、初めてお話した日。
今日は、知的障がいがある方に、すこしだけ近づいて、
すこしだけ遠のいた日でした。
いつもとだいぶ毛色がちがいますが、とても印象に残ったできごとだったので、書き残させてください。
岸田奈美さんの記事を読んで感じたこと。
大抵のnoterさんがご存知であろう岸田奈美さんのことを、恥ずかしながら私はnoteを始めるまで存じ上げませんでした。
なぜなら我が家にはテレビがないから。
noteで岸田さんの記事を読み、彼女の圧倒的なセンス、テンポ感、絶妙におりまざる関西弁に魅了された数日後。
たまたま実家に帰ってパラリンピックのコメンテーターをされているのを見て、「へ?!同姓同名?この人がnoteの岸田さん?!」と困惑したのを覚えています。
*
岸田さんの記事をいくつか読ませて頂くなかで、考えさせられるテーマがありました。
それは、知的障がいをもっている方との接し方について。
周知のことだと思いますが、岸田さんの弟さんはダウン症で、知的障がいがあり、知能は2歳児程度だそうです。
そんな弟さんが、コンビニで万引きをしたかと思いきや…?!という、こちらの有名な記事。
この記事でのコンビニの店員さんの対応を読んで、なんて温かい方だろうと思ったのと同時に、ふと頭に思い浮かんだひとがいました。
それは、近所に住んでいる、なんらかの知的障がいをもった男性でした。
いつもサンバイザー、ポロシャツ、ジャージ姿で、上から下まで全て緑色。
きっとめちゃくちゃヘビーローテーションなのでしょう。ジャージズボンはあちこちにツギハギがしてあります。
このジャージじゃないと嫌な理由が、彼なりにあるのだろうなと思って見ていました。
今住んでいる場所に越してきたころから定期的にお見かけする彼のことを、私は最初避けていました。
でも、何度も何度も見かけるうちに、ときどきおばあちゃんとお話ししている姿を見ることがあって。
そのおばあちゃんはどうやら血縁関係のあるおばあちゃんではなさそうで。
ああ、話しかけられたら返事しても大丈夫そうだな、と思うようになりました。
*
そうして、彼に「おはようございます!」と元気に挨拶されたら、「おはようございます」と返すようになりました。
娘をベビーカーに乗せて歩いていると、彼は娘を指さして「いぬ!!」と言います。
最初にそれを言われた時は、娘を守らないとという本能が働き、思わず反応せずにスーッと避けました。
でも、会うたび「いぬ!!」と言うだけでなにも危害を加えることのない彼。
いつしか、いぬと言われたら、「赤ちゃんだよー」「こどもだよー」と返すようになりました。
身勝手で、偽善だろうけれど、
どうしようもなく切なかった。
ある日、また娘をベビーカーに乗せて歩いていると、彼が私たちの前を歩いているの見つけました。
彼は、道ゆく人たちに、「おはようございます!!」ととても大きな声で挨拶します。
そんな彼を、ほとんど全員が無視していました。
まるで、彼に返事をしたら危険なことが待っているかのように。
ただ1人、工事現場のおじさんだけが、
「おう、おはよう!」
と漢気あふれる挨拶をかえしていました。
それを見て、私はどうしようもなく切なくなりました。
道ゆく人の気持ちはよく分かるし、
彼はなんとも思っていないのかもしれない。
でも、返事の返ってこない挨拶を続ける姿を見て、とっても偽善的で勝手ながら、すこし悲しくなりました。
彼の歩くスピードより、私たちの方が早かったので、
私は追い越しぎわに、ちらりと彼を見ました。
彼は私たちが視界に入るやいなや、食い気味で
「おはようございます!!」と言ってきました。
声の大きさにすこしビクッとしながらも、「おはよう〜」とかえし、
ああ、お返事できてよかった、と思いました。
このとき私は、岸田さんの先の記事のことを思い出していました。
私もあのコンビニの店員さんのような存在になれたのかな、と。
当然のエンカウンター。
彼とは、挨拶以外ほとんど話をしたことがありません。
でも、今日突然、お話の機会が降ってきました。
駅からの帰り道、いつものように娘をベビーカーに乗せて歩いていると、広場でおばあちゃんとお話している彼が目に入りました。
おばあちゃんはニコニコ彼とお話しています。
彼は私たちを見つけるなり、「いぬ!!いぬ!!」と娘を指差しながら、こちらにグングン近づいてきました。
そしてそのまま、私の隣にくっついて一緒に歩きはじたのです。
おいおい、嘘でしょ。
どうしよう。
娘に何かしてこないかな。
母としてどう行動すべきだろう。
こんな距離感で並ぶのははじめて。
一瞬のうちにたくさんのことが頭を駆け巡りました。
彼は、大きな声でひっきりなしに私に質問をしてきました。
「病院行くの?」
「いま、病院は面会できない?禁止?」
「コロナだから?」
「何歳になったら、おむつしない?」
「来年度は、おむつする?」
「ベビーカーは、何歳まで?」
「ベビーカーは、面会禁止?」
これらの質問を、混ぜこぜで、ひっきりなしに聞いてきました。
私は、どんな答え方が彼にとって分かりやすいのか知らなかったのだけど、とにかく返事をしました。
「うん、今コロナだから禁止だね〜」
「今日は病院いかないよ」
「来年度はおむつしないかな〜」
「面会禁止だね、コロナだからね〜」
返事をしながら、気付きました。
彼が手に握りしめているものに。
それは、メモ帳でした。
何も書かれていない、メモ帳です。
彼は彼なりに知りたいことがあって、
それを調べているような気持ちなのかもしれないな、と
勝手ながら思いました。
そして、このひとは危険じゃない。
お話していても大丈夫。
結局5分ほど経って道が分かれるまで、お話しました。
娘の気持ち、私の気持ち、彼の気持ち。
彼の知りたい欲求や、なんらかのルーティンを満たせたかなと自己満足に浸りながら残りの道を歩いていたのですが、それとは裏腹に、ベビーカーに乗っていた娘は硬直した顔をしていました。
家に着いて、
「もしかして、怖かった?」
と聞くと、「怖かった…」と娘。
ついには、
「もう、おにいさんとお話しないで!!!」
と言われてしまいました。
たしかに、あの声の大きさ、矢継ぎ早な質問は、2歳半になったばかりの娘にはこわかっただろうと思います。
私にとっては、優先すべきは娘です。
怖いのなら今回のような時もそれとなく別の道へそれようかな。
それとも、おにいちゃんは怖くないよ〜と言って、またお話をした方がいいのかな。
まだ答えは見つかりそうにありません。
これを記事にした理由。
今回これを記事にしたのは、それだけ今日のできごとが私にとって特別なことだったからです。
知的障がいがある方と何分もお話したのは、人生ではじめてだったと思います。
機会がなかったのもあるし、正直避けてもいました。
面倒ごとには、巻き込まれたくなかった。
これを読んで、
「知的障がいのある方に私のように優しく接してね」
と言いたいわけではありません。
彼に対してはたまたま「大丈夫だ」と感じることができただけであって、すべての方に同じようにできるわけではありません。
たとえば、いつも電車で身体を揺らしている全身ピンクの女性。
(沿線上になにか障がいのある方のための支援施設があるようで、そういった方を毎日見かけます)
ときおり急に立ち上がって何か言ったりもするので、幼い娘を連れた私は少し不安で、あまり近くには寄りません。
娘が彼女の発した言葉をそのまま真似してみたりすると、彼女がこちらを見る。ハラハラしてしまいます。
結局、私のしていることは、何か意味があるのか?
非常に限定的に、彼だけに、すこし優しくできて、それに満足している。
彼だって、私と話して嬉しいと思ったのだろうか。
ど素人の私には、なにも分かりません。
これが偽善的だということは、自覚しています。
娘だって怖がっているし、これからは一定距離を保つかもしれません。
でも私は、誰からも挨拶を返されずに歩いていた彼の、
あの背中を忘れられない。
岸田さんの弟さんにとってのコンビニ店員さんが、彼にとってもあちこちにいたらいいのに…。
その一人に、私もなれたらいいのに…。
そんなことを強く思った夜でした。
ここまで読んでくださった方がいたら、ありがとうございます🌸
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