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民事訴訟にも陪審員制度を導入せよ!!


はじめに.

現在、日本においても、裁判員制度が導入されておりますが、政府主導で導入された事もあり、日本人にとっては、その意義等について、深く考える人は少ないと思います。

しかし、私は、最近、日本において、安倍政権によって、司法権の独立が脅かされるような人事が行われたり、汚職や賄賂に使われ得るような政治家の裏金の存在が明らかになったりしている事から、今後の司法の清廉性について、非常に危機感を抱いております

なので、本noteでは、陪審制度の起源であるアメリカの歴史を簡単に紹介した後、司法権の独立を維持するための一案として、陪審員制度の導入を提唱させていただこうと思います。


1.アメリカにおける陪審制度

陪審制度導入の経緯

まず、ご存知の通り、アメリカは、共和制の理念の下に建国されており、制度の各所において、"みんなで決めた事は正しい"という、重要な事は市民が決めるという市民の意思を尊重する規定が設けられております。

そして、陪審制度というのは、司法・立法・行政の内、司法にも、市民の監視の目を及ばせ、専制政治から、市民を守るという理念の下に創設された、アメリカの建国当初から存在する規定になります。

その意義については、今の日本においては、立法・行政における国民の関与が許されるものの、司法分野については、国民が、ほぼ一切の関与をする事が出来ない事から、お解りいただけると思います。


陪審制度の概要

①民事訴訟

まず、民事訴訟についてですが、アメリカにおいては、民事訴訟についても、陪審制度が導入されており、全ての民事訴訟について、地域の住民の中から、陪審員として、6名が集められます。

そして、裁判になった場合、評決損賠賠償金額についても、全て、陪審員が決める事が出来るそうです。

なので、判事の役割として、基本的には、あまりにも不当な判決が出されないかという陪審員の監視に徹していると考える事が出来ます。


②刑事訴訟

次に、刑事訴訟においては、12名の陪審員が集められ、事実認定を陪審員が行い、量刑を判事が決定するという役割分担が成されています。

つまり、被告人を起訴にするか、不起訴にするかは、全て、陪審員が決める事が出来て、その先の有罪か無罪かという判決についても、陪審員が決める事が出来るという事です。

ただし、民事訴訟と同様に、不当な判決が出された場合は、判事がそれを覆す事が出来ます。


陪審制度の弊害

勿論、アメリカにおいても、陪審制度に関する批判も存在します。


まず、陪審制度の存在によって、アメリカの民事訴訟と刑事訴訟に共通している弊害として、90%の事案が、裁判を経ずに、解決されているという点が挙げられます。

つまり、アメリカにおいては、法的紛争が生じた場合、殆どのケースで、陪審員を介さずに、プロの弁護士・判事・検事のみによって、法的紛争を解決している実情があるという事です。

例えば、民事訴訟であれば、当事者同士、弁護士を介して和解を行ってしまい、刑事訴訟であれば、"罪を認めれば、減刑してもいい"という被告人と検察官間の司法取引によって、裁判になる前に決着を付けてしまおうという訳です。

身も蓋もない話ですが、法律の素人である陪審員が関与してくると、各法曹の負担が増えてしまう事は、容易に想像していただけると思います。


また、刑事訴訟であれば、民意によって、凶悪犯が野放しにされてしまうという指摘もあるようです。


2.現状の日本の民事訴訟・刑事訴訟における問題点

民事訴訟における問題点

個人的には、裁判の終結までの期間の長さ損害賠償額の少なさが、挙げられると感じております。

また、2011年の日本弁護士連合会の声明によると、民事裁判の利用件数が少ない、民事裁判の利用者の満足度が低い等の問題点があるとの事です。


刑事訴訟における問題点

次に、刑事訴訟についてですが、まずは、やはり、冤罪の存在が挙げられると思います。

2021年の統計によると、第1審における有罪率は約96.3%に達しており、無罪は0.2%という事で、一度起訴されてしまえば、無罪を勝ち取る事は、ほぼ不可能であると言えるでしょう。


次に、最近では、岸田政権の裏金問題が発生し、多数の裏金議員が書類送検される事態になりましたが、結局、嫌疑不十分で、大半の議員が、不起訴となってしまいました。

なので、そこまで顕著ではありませんが、政権と親密な関係にある利害関係者が、政権に対する検察の忖度によって、敢えて見逃されている傾向があることも、問題点の一つと言えるでしょう。


3.陪審員制度によって、改善が期待できる点

①民事訴訟

まず、裁判の終結までに時間が掛かり過ぎるという点ですが、アメリカにおいて、陪審員が関与する事で、裁判の決着がはやまっているという兆候があるようなので、日本においても、それが期待出来ると思います。

また、民事訴訟の賠償金額が少なすぎる点についても、陪審員の意見が取り入れられ、多少民意に沿う方向に、賠償金額の変更が成される可能性があります


②刑事訴訟

刑事訴訟においては、既に、裁判員制度が導入されておりますので、現状のままでも問題無いと思いますが、更に陪審員の関与を高めるような改善をしても良いのではないかと思っております。

そうすれば、第一に、取り調べ中に撮影されたビデオ等、陪審員達が納得できるような、より客観的な証拠が用いられる事が期待出来るので、結果的に、自白調書しか証拠が無いのに、有罪になるという事も減ると思いますので、冤罪が減る事に繋がると思います。

また、第二に、今回不起訴になってしまった裏金議員達についても、国民である陪審員の裁量により、起訴を行い、しっかりと有罪判決を下せるようになる可能性はあります。


4.今後、司法が、お金の力によって歪められる可能性がある

冒頭で述べたように、実際、日本では、安倍政権による検事総長人事への介入がなされており、政府にとって都合の良いような判決が成される可能性が高い状態が作られた事があります。

しかし、私が最も懸念しているのは、現在のアメリカ社会のように、大企業や富裕層が、司法・立法・行政の全てを掌握してしまうのではないかという事です。

勿論、"今のアメリカ社会では、大企業や富裕層が、司法・立法・行政を支配している"というのは、私の勝手な想像でしかありませんが、アメリカの貧富の格差が一方的に拡大している点や、大企業や富裕層が、二大政党に巨額の献金を行えば、実質的にはそれを成し得てしまう事からも、あながち、完全に間違ってはいないと言えるのではないでしょうか。


かたや、今の日本においては、現状では、実質的な政治の実権は、官僚達が握っておりますが、予算や成り手の不足によって、その影響力は日に日に低下しております。

その一方で、政党や政治家に対する企業・団体献金の規制が緩く、実際には、いくらでも多額の献金を行えてしまう実情があります。

なので、今後の日本においても、私の懸念する通り、お金を持っている大企業や団体が、多額の献金を政党に行い、立法・行政・司法に大きな影響を与えてしまう事は、十分に考えられると思います。


以上の事から、司法権を、今の司法職員達と国民の間で、権力分散を行う事で、そういったリスクの分散を図った方が良いのではないかと感じております。


まとめ.

やはり、民事訴訟への陪審制度の導入が、実現しなかったとしても、司法について、国民が関与出来る何かしらの規定は、必要であると感じております。

今現在の日本においては、客観的に見て、汚職や賄賂等の影響によって、司法・立法・行政が、歪められているというような事は無いと思います。

しかし、10年~20年後を想定すれば、官僚達の力は更に減衰する一方、大企業や富裕層の力が増し、将来的には、大企業や富裕層が、司法・立法・行政を完全に支配し、大企業や富裕層にとって都合の良い社会が作られてしまう可能性は十分にあると考えております。

そういったを事前に防ぐためにも、政治家に対する企業・団体献金の完全廃止を行ったり、私が今回提唱したような、陪審制度の導入等を行い、いざという時のストッパーを設けておく事が重要であると言えるのではないでしょうか。


参考文献.

・アメリカ人の政治 (PHP新書)

・入門・アメリカの司法制度 - 陪審裁判の理解のために




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