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終末医療の法整備は喫緊の課題である:安楽死制度を解禁せよ!!


はじめに.

近年、オランダやベルギーを始め、様々な国において、安楽死制度が導入されております。

そして、詳細は後述いたしますが、今後の日本においては、延命措置の中止等の終末医療に関する法整備が必須になる事はほぼ間違いないため、その大前提として、安楽死制度を法整備する必要が高いと考えております。

なので、今回のnoteでは、安楽死制度や終末医療に焦点を当て、"何故、安楽死制度の法整備が必要となるのか?"私が考える安楽死制度の要件等について、述べさせていただこうと思います。


1.終末医療の法整備は喫緊の課題である

まず、今後の日本政府の人口構成財務状況を考えると、高齢者一人一人に費やせる税金や社会保険料は減っていく事は間違いありません

それに加え、東京一極集中も一方的に進み続け、地方には、年金等の社会保障給付にのみ依存した高齢者しか居なくなってしまっているため、地方政府の収支が悪化し続け、今後はあらゆる市区町村が、北海道夕張市のように、財政破綻に向かっていくことも予想されます。


次に、北欧を始め、欧米には"寝たきり老人が居ない"という話は有名ですが、日本においては、推定300万人以上の寝たきり老人が存在するとの推定がございます。


以上の事をまとめると、今後の日本において、寝たきり老人と称される人々に対し、医師の手によって、延命措置が中断されるような、所謂終末医療が、次々に実施される可能性が非常に高いという事です。

ですが、現状、日本においては、厚生労働省や日本緩和医療学会等の民間医師団体によって、終末医療のガイドラインが制定されているものの、そういった法律は定められていないので、依然、終末医療に携わる医師が、民事や刑事の責任に問われてしまう可能性があります


私が思うに、寝たきり老人が多い等、そういった背景事情があるにもかかわらず、終末医療に関する法整備を全く行わないという事は、"酷な政治的判断とその責任を、個々の医師に一方的に押し付ける行為"であり、政治家が全く仕事をしていない事に起因する許されざる立法不作為でしかありません


2.何故、安楽死制度の法整備が必要なのか?

安楽死制度とは、言い換えれば、意思能力を持った個人が、自らの延命措置を、自らの意思で中止する行為を正当化するための制度であると言えます。

その一方で、終末医療と言うのは、認知症末期のお年寄りや寝たきり状態で意識が無いお年寄り等の意思能力を持たない個人が、第三者の判断によって、延命措置が中断されるものになります。

つまり、終末医療の法整備を実施する難易度は、安楽死の法整備を実施する難易度は高いという事です。

何故なら、自らの意思で、自死を選択する事が許容される法律が無いのに、第三者が、勝手に自死を強要するような法律が作れる訳がないからです。


3.安楽死制度はどうあるべきか?

まず、実際に、裁判所によって示された安楽死が許容される要件について、紹介させていただきます。

日本においては、東海大学病院安楽死事件(1991年)において、横浜地裁はその判決で、医師による積極的安楽死として許容されるための要件として、以下の4つを挙げました。

①患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること


この要件に対し、どう感じるのかについては、個人差があると思いますが、私個人としては、肉体的苦痛に限定されている等、納得のいかない点が多いです。

なので、1973年に、オランダのレーワールデン地方裁判所で示された要件を基に、私が考える安楽死制度の要件を述べさせていただきたいと思います。

① 医学上、患者は不治の疾患であると考えられること
② 患者が身体的もしくは精神的に耐えがたいか、もしくは激烈なほどに苦痛に苛まれていること
③ 患者が事前に文書もしくは口頭で、自己の生命を終結させて苦痛から解放してくれるようにとの明示的な意思を表明していたこと
④ 年齢が60歳以上である事(ただし、特別の事情がある場合は18歳以上)
⑤ 憂慮すべき特別の事情が有る事

安楽死制度の要件(私案)

まず、①~③は、実際に、オランダの地方裁判所にて、明示された要件になります。

次に、④については、安楽死制度が導入されている国々では、"18歳以上である事"という要件が、実際に採用されているためです。

最後に、⑤についてですが、安楽死制度が導入されている国々では、事後的に、第三者委員会等によって適法性が判断される事が多いそうなのですが、私個人としては、安楽死が実施される前に、識者達によって、判断が成される事が重要であると考えたため、要件に加えました。


安楽死制度に対する私見

私個人としては、自己決定権幸福追求権にも見られるように、国民の権利を強く保障している日本国憲法上、自らの意思で、自死を選択する権利も、保有していると解釈され得ると考えております。

しかし、その一方で、"公共の福祉"という制約、つまりは、国家にとって都合の悪い権利主張を、妥当な範囲でそれを制限するという規定があります。

それを踏まえ、日本国家の視点で見れば、日本国民一人一人に対し、膨大な量の税金が投資されているため、国民が一人欠けるだけでも、国家にとっては大ダメージである事は間違いありません。

なので、現実的に、75歳以上で尚且つ、有識者や第三者から見て、致し方ないという案件以外は、全ての安楽死の要望は、退けられるだろうと考えております。


終末医療の法制度はどうあるべきか?

終末医療の場合は、上記の私案における③の要件(患者が事前に文書もしくは口頭で、自己の生命を終結させて苦痛から解放してくれるようにとの明示的な意思を表明していたこと)が満たされる事がありません。

なので、延命措置を施されている患者の、配偶者や子供等の親族を、後見人と見做して、担当医師との協議の下、本人の代わりに意思表示を行うという事が許容されるような法整備が必要だと考えております。


刑法の観点から

例えば、スイスの刑法においては、自殺幇助に関する規定について、以下の通りに定められております。

スイス刑法 115条
利己的な動機から、人を自殺に誘導し、またはこれを助けたものは、その自殺が実行され、またはそれが遂げなかった〔未遂となった〕場合、五年以下の自由刑または罰金に処する

このように、"利己的な動機"が無ければ、幇助者が誰であっても構わないというような、多少無茶苦茶な規定となっております。

この規定によって、スイスにおいては、医師の手ではなく、民間団体の手によって、自殺幇助のビジネスが行われる慣習があるそうです。

ですが、日本社会においては、やはり、"幇助者は、医師に限定されるべき"であると私は考えております。

なので、実行者が、医師であった場合、殺人罪自殺幇助罪の罪が免責されるような趣旨で、刑法の特別法として、終末医療や安楽死に関する法案を作るべきであると考えられるでしょう。


民法の観点から

民事的な責任については、当事者本人や、当事者の親族等と、書面による合意が成されていれば、医師の責任は免責され得ると考えております。


4.自民党では、終末医療の法整備は実現は出来ない!

ご存知の通り、自民党というのは、これまで幾度となく、責任逃れを繰り返しており、自分達に都合の良い法律は、次々に通しておりますが、自分達に都合が悪い法律については、一切通そうとしません

冒頭でも述べた通り、終末医療の法整備を行わないという事は、人の生命に関わるような重大な政治的判断を、個々の医師に丸投げするような行為であり、日本の国会議員が、世界トップレベルの待遇を得ている事から考えても、決して許してはならない職務放棄であると考えております。

ですが、現実問題、消費税の増税を渋ったり、様々な社会課題を放置している事からも、自民党が、終末医療の問題に取り組む事は、ほぼ考えられないと言っても、過言ではないでしょう。


まとめ.

やはり、現実問題として、財政的な観点から言って、寝たきり老人と呼ばれる方々について、生命についての重大な決断を迫られる状況は、確実に増えていく事は間違いありません。

なので、その事について、政治家達がしっかりと責任を持つ事が重要であり、それが出来ないのであれば、"もはや、政治家ではない"と言わざる負えません。


確かに、安楽死制度や終末医療等は重いテーマであり、語る事すら憚られる事は百も承知ですが、実際に迫っている社会課題について、日本の医師達に全ての責任を丸投げするようなことは、あってはならないと思います。

なので、"全ての責任を政治家に負わせる"ために、しっかりと政治家に圧を掛け、また、そういった責任感を持った誠実な政治家を当選させる事が、何よりも重要であると考えております。


参考文献.

・安楽死が合法の国で起こっていること (ちくま新書)


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