「力士を乗せた」〜タクシー運転手の思い出〜
札幌にはときどき力士たちが来る。
相撲一行の巡業である。人気があるためタクシー運転手としても期待するイベントのひとつだ。
その日も巡業があることを事前に知らされており、私は早くから会場の近くをウロウロしながら流していた。夕方5時ごろ、本部からの無線が入った。
「つどーむ、つどーむに迎える方。10台行けますか?」
「837向かえます!」
私は即答した。
ちなみに「つどーむ」とは札幌の少し外れにある中規模クラスのスポーツ交流施設である。ここでは相撲の巡業、中古車販売会、フリーマーケットなどがよく行われていた。
会場の周りにはのぼり旗がずらりと立てられ、誰が見ても相撲一色の世界になっている。受付でタクシー会社名を確認され奥に進むよう言われた。私は会場の裏口みたいなところに誘導され、ここで待つよう言われた。
よく周りを見てみると若手の力士だらけだった。50人はいた。みんなギリギリまで稽古していたせいかフーフー言いながら列をなしてる。夏の巡業は暑さで大変だ。
そのうち周りがザワついたかと思うと、ひとりの小柄な力士が私の車の横を通り過ぎた
舞の海である
少しうつむき気味で足早に通り過ぎてしまったが、一瞬見えた顔は
爽やかであった!
できれば私の車に乗って欲しいが、それは絶対ない。舞の海は黒塗りの高級車に乗って行ってしまった。「そりゃそうだーぁ、はははっ」ちょっとだけ期待した自分に失笑した。
「うーすっ!お願いしまーすぅ!!!」
突然「ドカドカッ」と低音の音声爆音と車の激しい揺れが起こり、一瞬地震かと思った。後を見ると若手の力士が4人車に乗り込もうとしていた。
「うしろに3人乗るんだら、おまえは前!前に乗れぃ!」
先輩らしき力士が後輩に怒鳴った。もしかしたらこれが普通の会話なのかもしれないがちょっとビビリながら
「い、いらしゃいませ〜ぇぇ」
力士たちは4人とも座席の尻のポジションを決めようとしているのか、車が左右上下に大きく揺れ続けているなか私は行き先を聞いた。
「とりあえずススキノ行って!」
巡業で気を使っていた反動なのか、タクシーの中では自由奔放な態度である。その気持ちも分かるため私は爽やかに対応し車を走らせた。そうするとすぐに、
「運ちゃん!暑い!これ冷房ついてるの?」
「あっはい、もちろんつけてますよ」
「最大にしていい?」
そう言いながら力士は、すでに冷房のレバーを最大に振り切らせていた。
極寒の嵐が吹き荒れる車内に様変わりした。それでも4人の力士たちは車内でひしめき合いフーフーと暑そうだ。車内の窓は夏なのに曇っていく。誠に不思議な現象に見舞われた。
10分もすると私の上半身、とくに腕がつんざく寒気のため感覚がなくなってきた。
助けてくれーっ!寒すぎるー!
私は心で叫びながらアクセルをベタ踏みしていた。ところが4人の力士を乗せた車は全然速度が出ない。タイヤが道路に埋まっているのではないかと思うほど重たい走りである。「運転手、真夏に凍死する」そんな見出しで地方新聞に小さく載るのだけは避けたい。私は必死に車を走らせた!
やっとの思いでススキノに着き、凍える手で会計を済ませ
「ありがとうございました!」
少し口がこわばっていたかもしれないが爽やかに対応した。
力士たちを降ろしたあとは、とにかくは暖房を最強にして体を暖めた。暖めながら車内をよく見ると、窓には宝石箱のようにキラキラと力士たちの汗の水滴が付いている。もうブッ飛びである。
力士も大変だが、私も大変。
そして車も大変だったぁぁー!
ではまた。
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