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原点回帰というカルマ

果たしていま前進しているのか、後退しているのか、皆目見当つかぬまま、歳だけがダイレクトに重なってゆき、意図せずして雑多な業を引き受けてしまうことだけは確かである。思索と意味を込める間もなく、静かに、けれど瞬く間に、すり抜けていく無情さが催すある種の妙状しがたさに堪えつつ、適度に業を捌いては捨て、雑に歩き回っている。

付き合う人も変わり、仰ぐ酒も変わった。業を継ぎ接ぎしていくうちに、気づいたらいつの間にか知らない景色の場所に来てしまうこともある。しかしそこは、実は知らない場所なんかじゃなく、よくよく観てみると自分がかつていた場所だったりする。一巡して原点に戻ったのか、それともその場で足踏みに勤しんでいただけなのか。原点に立つのは、そんな感覚なんじゃないかなと思いますね。なかなかサイケです。

しかしお前の原点はどこか?そう問われても、僕はもはや毛根がまだ健全だった頃の写真を、インド洋の彼方に投ずるがごとき澄んだ目で眺めることぐらいしかできない。滅びゆく毛根の無常は、僕の頭頂部にプリミティブな結末をもたらしたわけであるが、意図しない原点回帰にあって、その実、掬すべき業との出会いも多く、何遍玩味しようと飽きることはなさそうだ。そんな呼吸によって紡がれていく業もまた、あるってことだろう。

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