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建国記念の日、僕は歩きスマホをやめた

ある年の晩冬のことである。京都巡りを仕上げた僕と友人Hは、その足を橿原神宮に向けた。

この場所がかの神武天皇が建国を宣言した聖地であるとも、その日がかの建国宣言がなされた日であるとも全く知らないで、辺境生まれの観光客に相応しい化外の俗臭を寸分違わず身に纏わせつつ、僕らは参拝に向かったのであるが、そこでは神なる静寂とは程遠い人外魔境の光景が展開されていた。

ジャパンの津々浦々から、右翼という右翼が大集結していたのだ。

北斗の拳でしかお目にかかれないような、「それ、ミサイル積んでますよね?」と見紛うほどの巨大な街宣車で駐車場はことごとく埋め尽くされ、さざ波の如くはためく日章旗、そこかしこから聞こえてくる勇ましい吶喊。境外の往来で右翼の一団が半狂乱の罵声を大音量スピーカーにて撒き散らかしているかと思えば、彼らを取り囲むようにして対峙する奈良県警の漢どもたち。日の丸VS桜の代紋、一触即発という言葉を具現化したようなシチュがまさに目の前で爆ぜていた。唖然、呆然、理路整然。

役者は右翼だけに留まらない。さらに多彩なオプションもこの時空間に付属していた。最寄駅前では大演説をカマす幸福の科学。その声を聞きながら神宮へ向かおうとすると、沿路に延々と立ち並ぶ信者から教祖様の著書が漏れなく配布される。春秋戦国時代ですら戦い抜けそうな、鼠一匹逃さぬ布陣であろう。もちろん僕も配布された。一人ひとり殺せるくらいの、分厚いやつを!その背後では「北方領土を死守せよ!」をシャウトする団体がテントを張り、国土防衛の兵営を張る。転じて境内、喧騒の中、軽装甲車で乗り付けた自衛隊員たちによる銃剣演舞が奉納されていた。研ぎ澄まされたその刃の美しい切っ先に、そなたたちの横顔はよく似ています・・・と、胡乱げに思う。

みんな本気、みんな死ぬ気。ここでは「紀元節」が正しい。「建国記念の日」なんて口を滑らせた日には即刻しばかれて、魂が赤紙召集されかねない凄まじい愛国的粘度が境内に満ち満ちていた。

圧倒的世紀末感を前に、一般人の僕らの場違い感も圧倒的だった。パンケーキ屋に入ったら、客全員女子だったってぐらいの場違いと形容しても間違いないと思われる。でもパンケーキは命までは取らない。砂糖の暴力はむしろ美味ですらある。しかしここ、橿原神宮の空気は、第三次世界大戦の開戦前夜を思わせた。日本は?世界は?一体どうなってしまうんだ!?居ても立っても居られなくなり、スマホ片手に本日の世界情勢を猛検索しながら歩を進める僕だったが、気づいたら任侠、英語でいうところのYAKUZAと思しき団体のど真ん中に突入してしまっていた。だって『アウトレイジ』に出てきたおじさんたちと同じ格好してたもん!!かくして死の術式は完成され、僕らは孔明の罠の餌食と成り果てる。秒速で辞世の句を詠み上げたのは言うまでもない。

その日を境に、僕は歩きスマホをやめた。

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