500年前のGo Toトラベル!それは大航海時代のスメル。
海とも山とも知れない遠海の先に、欧州人たちが向かったわけ。
伝説上のキリスト教国の国王、プレスター・ジョンを求めるワンピース的動機、アジア貿易の主導権を握るイスラムというマンモス中間業者の回避、羅針盤といった航海技術の発達など、要因は複合的だ。
そんな中、欧州人、とりわけカトリックたちはある危機感を共有していた。
彼らにとって「カトリック=世界」「カトリック is サイコー!ほかはKUSO!」であり、またそうでなくてはいけなかった。
が、イスラムというイケイケドンドンな奴らがライジングしてきてるし、何よりも身内のカトリックの中から
「教皇、おかしいよね?」
「教会、いらなくね?」
「聖職者も平民も聖書の前では平等じゃね?」
って言って憚らない反抗者、プロテスタントが出てきた。もう意味不明なわけ。おまけにガンガン信者を増やしてきてる。
「え?なんで?」
ってカトリックたちはなってまう。
だって今まで自分たちこそ世界の正しさそのものだと思ってたのに、目の前の現実が尽くそれに異を唱えている。
もう一つあって、ローマで神学が先鋭化して正統色を強めていく一方、欧州各地ではもともと昔からあった土俗的な風習もまだ色濃く残ってた。
そこにローマで学んだ司祭たちは地方に宣教しに行ったらびっくりするわけ。
だってナチュラルに魔女とかおるし、悪魔召喚の儀式とかやってる。キリスト教と土着信仰が習合しゃちゃってる。
「どゆこと!?」
ってなってまう。
プロテスタントや魔女という
「俺たちカトリックが正しいはずなのに、俺たちの中から、俺たちと違う異物が出てきてる!」
という恐怖感。
だから大航海時代の宣教師たちは、彼らのアイデンティティを確かめ、彼らが信じる神の真実が真実であると確かめる必要があった。
カトリックに限らずキリスト教徒にとっては、世界は彼らの神に統べられるために創られてるわけだから、世界を知ることは神を知ることとイコールだったのね。
彼らは世界各地の地図を作って、人種や動物や植物を集めてデータベースをつくり、その知見の集積から博物学、保険、人類学、近代会計、経営学が生また。
・宗教的危機感
・技術的発展
・経済的動機
それがカトリックたちの積極的な海外進出を支えたと言えるかもしれない。
そのうち
「わしらカトリックもどげんかせんとイカンばい!」
まあ彼らが果たして博多弁喋ったかどうかはこの際置いておくとして、内部改革の動きが出てきた。
その流れから出来たのがイエズス会という改革派グループで、その創設メンバーの一人が日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル。
布教、だいぶ苦労したみたいだけどね。
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