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独白

これは多分、遺書だ



ちょっとした病気を抱えている。
『適応障害』、所謂うつである。
あまり周りに言うことでもないので少しだけ吐き出したい。

昨年1月頃に籍を入れた。
10月から一緒に暮らし始めた。
お互い転勤族だったためだ。

病気の原因は思い当たる根本のものはこれだ。
『私が相手の望むように行動が出来ない』ところだ。


11月中旬頃から体調とメンタルが崩れ始めた。
メンタルに引っ張られて体調が崩れた、の順だろうか。たまに発熱し、気分が落ち込む程度だった。
相手のためにと思ったことが全て裏目にでてしまった。自己嫌悪が始まった。

11月は結婚式を控えていた。
お互い準備を進め、出来ることはしっかりとやったつもりであったが、平行して後輩たちの相談などに乗って夜出たりしていたため向こうの機嫌を損ねてしまった。



12月には顕著に不眠が出てしまい、4時や5時まで眠れない日々が続いた。果てには仕事に遅刻してしまった。
誰からも催促の電話がかかってこなかったため、逆に動揺したのを覚えている。起きてすぐ連絡をしたら「別現場の手伝いに行ってるものかと!」という返事。まさかすぎたがとりあえず出勤した。

店長に呼び出される。突然だろう。
「珍しすぎて怒ったりより心配が強いよ、何かあった?」
うわべだけだが正直に話した。眠れなくなっていること、思い当たる原因などだ。
病院を紹介され、とりあえずそのまま復帰した。
月末頃運転中に、吐き気と希死念慮に襲われる。
紹介された病院にすぐ電話をし、話を聞いてもらう。かつ、薬を処方された。

12月は俺の体調が悪いムードのなか、
何かの喧嘩をした際に『プロポーズや付き合う時も身勝手だった』『離婚届を取ってきてほしい』などと言われた。いや違うでしょと伝えても一点張り。
仕方なく取りに行き自分の項目を埋めた。次の日だったか、発見されては『へー本当に取りに行ったんだ、自分の名前まで書いて。婚約届けより綺麗に書いてない?』と言わせてしまった。

更に12月の年末だったか。クリスマスの日に仕事から帰ると責められた。
『みんなは幸せそうにしていた。自分達は何なのか』
大晦日の日も同様。紅白を2人で見ていたが、 途中で俺の鍋の注ぎ方が気にくわなかったのか別部屋に行ってしまった。
悪化させてしまう気がしていたのでそのままにしていたが、なるべく音を立てないように外に出ていたらしく、帰ってきたら気付かなかった私にめちゃくちゃ怒ってきた。


1月。
月前半から食事が喉を通らなくなった。
5日頃の昼にマックを食べたのを覚えているが、その後から2週間近くものを食べては吐き出す日々。
地獄だった。体重が8キロ近く落ちた。
職場では誰が見てもなレベルで痩せてしまい、余計な心配をかけてしまった。
あまりに自分が嫌になってしまった。
後述するが救急車に運ばれたのもこの時だ。 


2月。一見多少良好だったが、私はめちゃくちゃ気を遣うし相手も距離を測りかねているようだった。
睡眠不足は薬のお陰で落ち着いてきたが、次は頭痛に吐き気、その他色々でて来た。

とどめとなったのは、私の症状ややっていることを、私を飛び越えて先方が私の親に伝えたことだ。
突然実家から私に呼び出しがかかり、やっていること全てを話された。

やっていたことはなにか。
11月頃から目立ちにくいところにリストカット。
次の日が休みのときはOD などの自傷行為だ。


そう、短編『4月、紫煙と往く』は、半分くらい自分のことと重ね合わせていた。「私がギリギリならなかった未来」を書いてみた。


リストカットは11月頃から、ODは12月頃からだ。
傷跡がいくつも残らないように同じところを何度も。
ODも気分が悪くなりすぎない量で少しずつ。

1月22日だっただろうか。あまりに不安になり、初日にブロン84錠、翌日メジコン40錠を一気に飲んだ。
メジコン40錠飲んですぐ幻覚が現れる。
ここでまともに立てなくなった私は、救急車を呼んでもらい運ばれた。

隊員「薬を飲みましたか?」俺「飲んでません」

隊員「奥さん、旦那さんは何か病院行ってましたか?」

妻「こんなところに行ってたらしいです」

おそらくここでバレたのだろう。
隊員「薬を何錠飲みましたか??」俺「10か20??」

隊員「それだけでこんなになるはずないよね?本当は??」俺「40」

近い病院に運び込まれた。幻覚を見ていたため、俺は病院をたらい回しにされた記憶がある。実際はすぐに受け入れてくれたようたが。横になって点滴を打たれた。傷跡を見られた俺はひたすらに謝り倒したのを覚えている。薬も「もうしませんか?」「もうしません」なんて会話をして退院を逃れた。

そんな話を妻も抱え込むのが辛かったのだろう。
私の両親に直接連絡をして呼び出されたわけだ。
あまりの衝撃。

実家からの帰り道に過呼吸を起こした。
運転中、式を挙げた場所が目に入ったとたんに息が上手く出来なくなった。
職場の同期に助けを求め、代行で送ってもらった。
本当に感謝してもしきれない。

その日の夜も不安があり、家には誰もいなかったので鍵をかけずにいた。
先日の救急車の件で、『自分のせいで、こんな貴重な一枠を使ってしまって申し訳ない』という自己嫌悪や、式場を見ただけでストレスがかかってしまった。薬を飲んだ結果、逆に落ち着かず過呼吸を起こしてしまい、職場や後輩に助けを求めた。

後輩がすぐドアを開けてくれると、そこで目にしたのは玄関で過呼吸を起こし倒れている俺。気分が落ち着く薬を指差し、「あれを飲ませてほしい」とお願い。

そこから先の記憶はない。
少し落ち着いた私がどうやら
「煙草吸いたい」と言ったらしい。
記憶にはないが後輩からめちゃくちゃ怒られたようだ。
挙げ句「落ち着くと思って、、、」と言い訳をしたらしい。

職場にも連絡をしていたせいで翌日店長と親が来た。そのまま実家に強制連行。
実家についてから2日ほどの記憶はない。
落ち着いてきたころ、ご飯は食べられるようになったが気分は常に落ち込み、薬の量も増えた。
職場からも出勤停止となり、居場所がどこにもないように感じた。連絡をしてくれる後輩だけが拠り所だったのかもしれない。

休職は1ヶ月半ほど続いた。
先方とは一切会わず距離を取ったせいか、体調は比較的回復してきた。1週間ちょっと前から半分出勤をし、体を慣らしていくところである。この事実すら自己嫌悪が凄まじい。


『結婚生活、そもそも自分といる生活に対して望んでいる形があったなずなのに、自分のせいでそれが送れなかった』


ここが1番相手を傷付け自分を責めた要因なのだろう。

一般論として、
『そもそも結婚とはそういうもの』
『そうやって擦り合わせて作っていくもの』
とは何度も言われている。

『相手は逆ギレだろうがしっかり言い返して喧嘩したい』
『喧嘩の原因を除けるよう冷静に対処したい』

ここが全く異なると思うように動けなかった。
全てにおいて自分に責任があるので否定はしないが、過去のものまで出されると本当に何も言えなくなる。
何も言えないと何か言ってよと怒られる。
限界が、きてしまったのだろう。

結局のところ、今は『こんな情けない自分がここまで連れてきてしまった責任感』でなんとか心を保っている状態だ。
向こうにも言われた。「この年まで付き合っておいて、私が怒ったらはいさよならとか何それ???」
全くもってその通りである。相手の両親のメンツもあるだろうし。


向こうも少しばかり不安定になってしまっているようだ。俺がこんな風になってしまったせいだろう。罪の意識ばかり感じて消えてしまいたくなる。


それでも、仮に一緒にいることを望まれるなら、
自分を捨てて心を捨てて相手の動作ひとつに目を光らせ、望むように動けるようになるしかないだろう。
それじゃなにも正常ではないのは分かっているが、それでもそう思わないとやってられない。
もしそれでも一緒にいようと言われたらその時が、自分の意思で書きたいように書く最期の文となるだろう。

ずっと近くで聞いてくれた人がいる。
めちゃくちゃ支えてもらった。
心の底から感謝している。
不安なこともあるだろう。嫌なこともあるだろう。
周りの友人達もそうだが、どんな時でも、絶対に俺だけは味方であり続けるから安心してほしい。
この恩は忘れずに絶対に変えそう。

喧嘩しないなんてことはきっとないだろうが、それでも、心から幸せになれる人と一緒に暮らしたかった。



今どうしたいかなんて考えていない。
考え始めると動悸がして眠れなくなる。
それでも、そのときは来る。
心を殺す薬は、いつでも準備出来ている。



PS
最近事故っちゃって泣きそう!!!!!!!
命より大事な車だぞ!!!!!!!
このせいで運転できないんや!!!!!
買い換えできるかな、、、



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