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可能性を信じるということ、成長には時間がかかるということ、命の本質について。

島に来て少し経ちました。医師ひとり、看護師はわたしひとりの小さな診療所です。検査技師や薬剤師は当然おらず検査や調剤なども医師と協力し、最低限の機材と人員でなんとかできることをやっています。

島にはコンビニやスーパーはありません。小さな商店がひとつだけあり、そこの商品は輸送費がかかっているのでやや割高で、島民は基本的に漁や畑をやって自給自足の暮らしをしています。(調味料やお菓子はネットで買うらしい)

そして私の食糧のほとんどは、本土から持ってきた米や乾麺と、近所に住んでいるおじさんがくれる野菜や魚、卵です。仕事から帰ると自宅の前に野菜が置いてあったり、「食べるものはあるのか?」と言っては毎日のように何かしら差し入れをしてくれます。魚も捌いて刺身にしてくれて、とてもありがたいです。

その人は昔、かなり悪いことをしていたらしい。それは島の人はみんな知っているくらい有名な話で、いまだに信用されていなくて友達も少ないってボヤいたりしている。それで今はよそ者が来ると、頼まれもせずお世話係をするのがほとんど生きがいになっているみたい。

たしかに、ちょっとしょうもない人だなぁってなることもあるけど、私は島の人がいう程その人のことを悪い人とは思いません。てゆうか、そのおじさんが食べ物をくれないと生きていけない。

べつにきれいごとを言いたいわけじゃないけど、もっとシンプルに考えればいいのに。

人間はいきなりは成長できないし、ある日とつぜん変わったりもしないけど、きっかけというのはそれぞれどこかにあると思います。

私たちは何度も失敗するし、悪知恵も悪事もはたらく。信用を失ったり、人を信じられなくなることもある。許せないこともあるし、許してもらえないこともある。壊れてしまって、壊れたままのものも、ある。

そういう経験は時に人を臆病にもするけど、臆病になったまま終わるのは楽しくない。もし勇気を出せば、それか肩の力を抜けば、立ち直ったり、新しく何かを学んだり、見つけたり、そして忘れたりできるようになっている。そういうふうにできているはず。

私たちはみんな死ぬまで未来に向かって生きている。それは命の本質で、健康なひとも、病気のひとも、老人も子供も同じで、当たり前のことなんだ。もう年だから、病気だから、昔悪いことをしたから、というのは私たちの心が勝手に決めているだけで、命はそうじゃない。命は毎日未来に向かって進んでいる。

そういう当たり前のことをあらためて大切にしようって思いました。


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