稗田 あぶく

会社員、ときどき旅人。ふらっと旅して、人の暮らしの何気ない場面を写真に残したりしていま…

稗田 あぶく

会社員、ときどき旅人。ふらっと旅して、人の暮らしの何気ない場面を写真に残したりしています。写真付きの旅話なんかを投稿していきたいな。

最近の記事

青ヶ島村 無番地から

    • 可能性を信じるということ、成長には時間がかかるということ、命の本質について。

      島に来て少し経ちました。医師ひとり、看護師はわたしひとりの小さな診療所です。検査技師や薬剤師は当然おらず検査や調剤なども医師と協力し、最低限の機材と人員でなんとかできることをやっています。 島にはコンビニやスーパーはありません。小さな商店がひとつだけあり、そこの商品は輸送費がかかっているのでやや割高で、島民は基本的に漁や畑をやって自給自足の暮らしをしています。(調味料やお菓子はネットで買うらしい) そして私の食糧のほとんどは、本土から持ってきた米や乾麺と、近所に住んでいる

      • 東京都 青ヶ島村 無番地から

        • 東京の秘境 青ヶ島

        青ヶ島村 無番地から

          離島暮らしについて。その②島で暮らすきっかけ探し。

          離島暮らしについてのその①では、島の食糧事情について話してみましたがhttps://note.mu/abukubuku/n/nff4dd48daa06 今回は、おそらく多くの人が気になるであるだろうところの、島で暮らすきっかけ探しについてお話したいと思います。 まず、島の人たちとつながり、生活を営んでいくには何はともあれ仕事が必要ですよね。島の求人ってどこにどうやって出ているんでしょうか。 これにはいくつかあるんですが、 "日本離島センターのしましまネット"http:

          離島暮らしについて。その②島で暮らすきっかけ探し。

          旅とマリファナのこと

          この話題って今更だけど、できれば若者に読んでほしいな。 旅をしていると避けては通れないことのひとつに"マリファナを勧められること"がある。 これから旅に出る人にも、誰かを旅に見送る人にも、もしみんなの子どもが大きくなって海外旅行に行くって時にも、伝えたいこと。 マリファナを勧められたら、絶対拒否してほしい。 ネパール、インド、カンボジアなどアジアの国の一部の地域ではマリファナが容認されていて、そこらじゅうに普通に生えていたりする。(写真はネパールの路上にぼうぼう生

          旅とマリファナのこと

          リュックの中にちいさなインド

          ふらーっとインドに行っていたのですが、今回、どうしてもインドから持って帰りたいものがあり、こっそりリュックの中に彼らを忍ばせて帰国。 帰国してすぐに確かめる、、、一つも割れてない。ああよかった。 これは、"クリ"と呼ばれる素焼きのカップで、インドの路上でチャイやラッシーを買うとたいていこのカップに入って出てきます。店によって少しずつ形や大きさが違うのがまたいい。 しかしこのカップ、なんと使い捨てなのです。飲み終わったら地面に叩きつけて割るのが習わしで、なんでもヒンドゥー

          リュックの中にちいさなインド

          あいあるまなざし

          あいあるまなざし

          離島の暮らしについて。その①

          皆さんは"島暮らし"というやつに憧れたことはありませんか? 美しい自然に囲まれていつも聞こえるのは車や人のざわめきではなく鳥のさえずりと波音で、毎日仕事が終わると水平線に沈む夕日を眺める。アクティビティは釣りにダイビング、そして海辺でヨガ。 文章にしてしまうとちょっとイタイですが、実際に朝は鳥の鳴き声で目が覚めて、流れ星も毎日見られます。 私は幼少期に数年ですが日本屈指の離島で過ごし、そして最近までとある任務で一年間の離島暮らしをしていたので、その経験について少し書い

          離島の暮らしについて。その①

          やわらかいものは砕けない。

          タイトルはきっと私の座右の銘みたいなものです。 強くなりたいという思い、自分の主義・主張・信念。ペンも剣もメスも何かを守り貫くためにどこかで誰かを傷つけてきた。 だけど美しいものは、芸術は、誰一人傷つけることなく、優しく、そっと世界を変えていくでしょう。 私はそう信じています。 そしてそういう人になりたい。どんなときも、やわらかく、美しく。

          やわらかいものは砕けない。

          リトル インディア トーキョー

          リトル インディア トーキョー

          リトル インディア トーキョー

          リトル インディア トーキョー

          旅をすること、私の場合。

          私の旅というのは非日常ではなく、日常である。というより、自分の普段の生活をいつもと違う環境でただ何でもないふうに営むことだと思っている。 そうやって自分の生活を保ちながら、町から町へ国から国へと旅を続けていくうちにどんな環境にもすんなりと適応しつつ、しかしけっして自分自身を見失うことはないのだ。 それは一種の修行のようなもので、温かいシャワーがなくても、毎日停電がおきても、雨のなか宿が見つからなくても、砂漠で野宿しなくてはならなくても、標高5000メートルで酸素が足りなく

          旅をすること、私の場合。

          いま、手を握っているということ

          いま、手を握っているということ