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自己紹介 はじめてのnote

1980年、43歳、松坂世代。
現在、大学で中国語を教えています。
私の人生は、ざっとこんな感じ。

1980年誕生

帝王切開で生まれる。一人っ子。
母33歳の時の子。

ラグビー

中学、高校とラグビー部。中学校で楽しかったラグビー。高校では練習中、〇山というコーチに蹴られ、罵られる日々。夜、目を閉じれば〇山の顔が浮かぶまでに。

あ、辞めよう。

高校2年の終わりに早期引退。

大学は経営学部

大学は経営学部。中国語は第二外国語で履修。

履修理由は…「なんか簡単そうだから」

そんな感じで1、2年生で履修。「可」の時も。

失恋の傷を癒すため台湾留学を決意

大学1年の時に彼女ができたが、2年生でフラれる。
1年間、忘れようと頑張ったが、心の傷は癒えず。
どうしようか悩んだ末、日本を離れるのが一番良い方法だと思い、留学を決意。
当時の先生に、大陸か台湾か相談し、台湾の方が食が合うのでは?という理由で台湾に決定。
台湾の話は、また別の機会に。

帰国後、復縁&大学院を目指す

帰国後、別れた彼女と復縁。
あ、ちなみにその彼女が今の妻です。

そして、留学中こんなことに気づく。
大学時代に教えてもらっていた先生の教え方はわかりにくかった。簡単なことをあえて難しく説明していた。これでは、私みたいな特に第二外国語として中国語を学ぶ学生は、中国語が好きになれない。
もっと簡単に教えられないものかな、と。

そこで、大学院を探したところ、「外国語教育」を専門とする所があることを知る。
ここで教え方を学びたい!
気合で入学。

大学院&非常勤&結婚&出産

大学院の修士・博士と進む。
博士に入った年に、高校の非常勤講師の機会を頂く。
妻は正社員、私は院生&非常勤講師で年収200円。
専任が決まってから結婚が理想だったけど、私も妻29歳の時に結婚。
33歳で長女を授かる。
34歳で博士号を取得。

次女出産&専任教員そして現在に至る

36歳で次女が生まれ、その年に奈良の大学で中国語教員の専任が決まる。
3年後、今の大学に移る。

全てが今に繋がる

高校時代にラグビーをやめなかったら
大学で彼女にフラれなかったら
大学院に進まなかったら
娘が生まれなかったら

私の今の人生はなかった。
ま、人生とはそんなものなんだろうけど、
こう振り返ると人生とは不思議なものだなと。

以上、私の自己紹介でした。

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