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「そんなの意味ない」は意味あるかも

大学院生の皆さんは、
指導教授や先生、先輩から、
「そんなことやって何の意味があるの?」
「それは意味がない。やめたほうがいい」
と言われて心が折れそうになったことはないですか?

実際に、「そっか、意味ないのか」と諦めた人もいるのではないでしょうか。

私もその一人でした。

私も昔「意味がない」と言われましたが続けました。
結果、意味がありました。


ちょうど10年前、私がまだ大学院生で非常勤講師だった頃、
数人の院生と中国語の研究会を立ち上げました。

目的は、教え方、悩みを共有する場。
10年前、中国語では教授法に関する研究会はほとんどなく、
特に若手教員には、そのような場が必要でした。
研究会を立ち上げてすぐの時に、
「授業のメリハリの付け方」というテーマで私がコーディネーターを務めました。

当時、私は高校で教えていて、
授業にメリハリがないと生徒は10分で睡魔に襲われる。
授業準備の大半は、どうメリハリをつけるかを考えていました。

そこで、私が問題提起し、参加者全員がどのように
授業でメリハリをつけているかを報告し、情報共有するという感じで。
そこに、中国語教育を牽引している教授も参加してくださいました。
本当に嬉しかった。この先生のメリハリの付け方を聞きたい。

その先生は、結局何も発言されませんでした。
そして、研究会は終了。
その先生は、即座に事後アンケートを出して退出。
どのようなことが書かれているのだろう。
楽しみ。


授業にメリハリなどいらん


達筆な字で、それだけが書かれていました。

私は、一瞬頭が真っ白になり、
直後に悔しさと不安が一気に襲いかかってきました

私がやろうとしていることは、
「いらない」のか・・・
「無駄」なのか・・・

呆然と立ち尽くしていましたが、
他の先生のアンケートに目を通すと・・・

こういう研究会を待っていた!
メリハリ、本当に悩んでいた!
共有できてよかった!

その時、ふと思いました。


・この先生は、これを大事なことではないと思っている
・この先生は、この分野には興味を示さない
・でも、これだけ必要としている人がいる

これはチャンスじゃないか!!!


それから、ずっとあの時の気持ちを忘れず研究会を続けて、
自身もこうした指導法を専門にやってきました。

あれから10年。
研究会は150名を超えるまでになり、
私のやってきたことは少しは中国語教育に貢献できていると感じています。


「そんなの意味ない」

もちろん、本当に意味がないことをやっているかもしれません。
でも、意味のあることかもしれません。
この判断は難しいです。
一人の意見だけでなく、別の人の意見も聞いてみるといいかもしれません。

最後に、私はいま指導する立場になり、親になりました。私はこの有名教授のように、学生や娘のやることに対して「意味がない」とは絶対言わないようにしています。



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