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1993年のオーストリア・モーツァルト №70〈ウィーン №22〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

ウィーン♪ №22(ウィーンは晴れて美しい)

1993(平成5)年7月21日(水)夕方

 またしばらく歩くと、若い男女の演奏するジプシー曲。暮れかかった街に似合いの音楽だった。(※1)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
最終日のきょうは晴れ
街の表情も昨日までとは違うように感じました

 だが感傷に浸っている時間はない。ホテルの係の人達に言うお礼の言葉を頭で作文して戻ったが、荷造りしているうちにタクシーが来てしまった。(※2)

 あわててホテルを出るとき、フロントの女性が笑顔で「アウフ・ヴィーダーゼーン(さようなら)」と僕に向かって言ってくれた。(※3)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
晴れの最終日
再びの王宮公園とモーツァルト像
日の光が美しくすべてを照らしていました

 なのにぼくの方は「サンキュー・ヴィーダーゼーン」と英独チャンポンの変な挨拶を返すので精いっぱいだった。(※4)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
モーツァルト
あなたに会うために日本から来ました
また会える日を楽しみに日本へ帰ります

***

 タクシーに乗ってシティ・エアポート(シェラトン・ホテル前)まで行く途中で、今日は天気がとても良い、という意味のつもりで「ダス・イスト・ゼ―ア・グ―ト」と僕が言った。(※5)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
木漏れ日に美しく映えるシェーンブルン宮殿コンサートのポスター
モーツァルト作曲『レクイエム』、同じくオペラ『ドン・ジョヴァンニ』

 そしたら運ちゃんはウィーンがとても美しいという意味にとったのか、「ヴィ―ン・イスト・シェーン」と自慢げに返してくれた。

  
――つづく――


※1 ウィーンは東欧への玄関口。いろんな民族や文化の離合集散の舞台にもなったんですね。

※2 イメージ通りになかなか行かないのが現実です。もっと丁寧に格好良くいくかと思っていたのがぜんぜんでした。まあ、旅行ってそういうものかもしれません。

※3 例の親切で素敵すぎる女性です。そう言えば日本の何か記念品でも渡せばよかったのに、気が回りませんでした。

※4 ドイツ語で「さようなら」は正式には「Auf Wiedersehen(アウフ・ヴィーダーゼーン)」ですが、アウフを飛ばして「Wiedersehen(ヴィーダーゼーン)」だけでも間違いではないらしいです。

※5 このとき私が喋った「Das ist sehr gut.(ダス・イスト・ゼア・グート)」をGoogle翻訳にかけると「それはとても良いことです」となりました。やっぱりちょっと変なドイツ語でしたね。
「いい天気です」にあたるドイツ語正しくは、「Es ist gutes Wetter.(エス・イスト・グーテス・ヴェッター)」。「とてもいいお天気ですね」なら「Es ist so ein schönes Wetter.(エス・イスト・ゾー・アイン・シェーネス・ヴェッター)」となるそうです。

※6 さすがタクシー運転手です。地元愛にあふれていました。日本でも、大阪でも生まれて住んで深く知れば知るほどそうなることでしょう。


※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。

#オーストリア
#ザルツカンマ―グート
#モーツァルト
#30周年
#わたしの旅行記

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