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1993年のオーストリア・モーツァルト №45〈ザルツカンマーグート №18〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

ザルツカンマーグート♪ №18(ハルシュタットを出る)

1993(平成5)年7月19日(月)午前

 船の写真を撮ろうと思い、ぐるっと大回りして溝の向こうへ行った。そこに猫がいたので試しにこっちに来いと手を差し出したら人見知りしないやつで、寄ってきてからだを摺り寄せてきたので撫でてやった。(※1)

〈ザザルツカンマーグート観光 ハルシュタット〉
ハルシュタットの教会 尖塔のフォルムが鋭く高くそびえてどこからも目につきました
まさにハルシュタットのシンボルともいうべき建築 デザインが秀逸です

 もし僕が三味線屋の資材調達係の人間だったらおまえはたちどころに日本へ売り飛ばされたであろうに。(※2)

〈ザルツカンマーグート観光 ハルシュタット〉
船着場には 旅行の女性たちが何人か先に待っていて 猫も一匹待っていました?

 係員が出船を知らせているので乗り込んだ。この街の静けさの中、静かに船は出て、やがてこれも静かな対岸の鉄道駅へと滑り込んだ。(※3)

〈ザルツカンマーグート観光 ハルシュタット〉
船が来ましたので乗りました これでハルシュタットとお別れです
つぎにまた来れるのか それはいつなのか……

 しばらく待って来た列車に乗り込んだ。途中の駅で小学生らしい10人ぐらいの少女が乗ってきてぼくのいるシートにも座った。仲間でワイワイやっている。こういうところはどの国の子供も無邪気で他愛ないものらしい。(※4)

〈ザルツカンマーグート観光 ハルシュタット〉
ハルシュタット湖を渡って対岸のハルシュタット鉄道駅を目指しました
朝もやの中 オーストリア国旗が船尾で風に翻っていました

 バート・イシュルも近くなったころ隣の車両から先生らしい男性が来て、何やら少女たちに喋った。たぶん、もうすぐ降りるのだと伝えたのだろう。
日本のように駅名の車内放送がないのでうっかりすると遅れてしまうのだ。(※5)

  
――つづく――

※1 イヌ・ネコはずっと好きで今も好きです。かつてはどちらかというとイヌ派でした。猫のよさ、かわいさがよくわかっていなかったと思います。いまは、どちらかというとネコ派。猫のよさ、かわいさにハマりました。

※2 もちろんジョークです。子供のころからイヌやネコや小鳥やさかなを家で飼っていましたから、動物は好きです。

※3 ザンクト・ギルゲンとザンクト・ヴォルフガンクの街があった、ヴォルフガンク湖は富士五湖でいえば山中湖か河口湖。それに対してハルシュタット湖は精進湖しょうじこか西湖に譬えましょうか。違い・個性がなんとなく分かっていただけるでしょうか。

※4 さいしょ、向い合せ4人掛けの席に私一人すわっていました。とちゅうの駅から乗ってきた10人くらいの少女が、私の隣座を含むまわりのあいた席に座ってさっそくのお喋り。彼女達から見て私を外国人とか意識した様子はなかったです。当時から観光客が多かったお国柄のせいでしょうね。

※5 車内アナウンスがほとんどないので、緊張して時計を見て停まるたびに駅名を確認していました。


※標題画像は、湖畔の街ハルシュタットです。

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