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連載小説『ヰタ・セクスアリス・セーネム』二章 喫茶店のママ(一)

 胸がもんもんした。
 順平が左肩亀裂きれつ骨折事故にって不便が始まった。服の着脱がままならない。着替えは和美に手伝ってもらえるが、トイレや入浴時まで頼むのは気が引ける。時間が多少かかっても自分でなんとかかんとかやり通す。
 持っている下着やシャツ類はからだにぴったりしたものが多いので着脱が大変だと気付いた。ユニクロや無印へ行き、そで口やむね周りがゆったりしたものを和美と選んで買った。
 靴下の着脱もだが、特に食事だ。はしが持てない。左手でためしたが、だめだ。がんばろうという気持ちがあっても実際問題イライラに負けるのであきらめた。スプーンとフォーク、家にあるものを色々試したが、ちょうどいい使い心地のがない。

「このスプーンとフォーク小さいねん」と順平が不満を漏らす。ティースプーンとデザート用のフォークでは小さすぎて面倒くさい。
「ほんだらこっちのんは?」和美が普通サイズスプーンとナイフ、フォークセットを出してきた。
「大きすぎるやろ」食材によってはたしかに使いづらい大きさに、ついつい順平の不満が募る。
「お箸に戻る?」と、わがままな夫にスプーンいやさじをなげる和美。
「無理や言うてるのに……」順平か怒りをぶちまける。
 あとで冷静に戻ったふたりは、不毛なケンカはやめにして、中間程度の大きさのスプーンとフォークを買った。
 
 通院は、和美が付き添いしてくれるときは、レントゲン撮影のときの衣服着脱や、タクシー料金の支払い、病院の会計はしてもらえるので助かる。和美の都合が合わないときは一人で頑張るほかない。
 左手一本はやはり不便なものだとつくづく感じる。入浴はできるが、肩をらさないように注意しながらなので、体を洗ったりは十分できない。背中を洗うときは和美に手伝ってもらう。

「そこちゃうねん。かゆいのはもうちょっと右」順平の妻への甘えが久しぶりに戻ってきた。
「うるさいなあ。自分でやったら?」と、面倒がりながらもそれに応えてやる和美だ。
「できへんから、やってもらってんのに」順平のグチがまた始まる。
 感謝はしていても夫婦の間でもともと礼をいうのは慣れていない。照れくさいものだ。礼のかわりにグチが口をつく。まあ、分かってくれ。

 秋口とはいえ、汗をかくこともあり時々ギブスの部分もかゆい。ギブスの周りをポリポリしているとスマホにラインが入った。悪友の西本からだ。
「いまから行くぞぉ」
「いまから出るぞぉ。アッカンベー」順平が笑いを浮かべながら返信した。
「いじわるじじい。るんやろ」西本も笑いながらキーを打った。
「何しにくるんや」順平が一応用件を聞くだけ聞いた。
「お・み・ま・いに決まってるやん」と西本。
「なんか持ってくるんやろな」と順平。
「手ぶらに決まってるやろ」
 と西本が締めて、他愛ないやり取りも一区切り。まあ、いつも連絡なしに突然来るやつなので、きょうはそれなりに気をつかってはいるのだろう。




出雲千代|デザイナー  さんの画像をお借りしました。



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