![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/98943802/rectangle_large_type_2_3b20a5372cc528fffa696e830660ea23.png?width=800)
60年代、流行った洋楽。18
『70年代、流行った洋楽』の60年代版です。
60年代の初頭は、私自身がまだ少年時代。音楽に目覚める以前のことでした。そのうち、ラジオのAM放送やテレビなどから流れる音楽に意識が向くようになりました。そんななか、記憶に残る曲にもめぐり逢いました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけでなく、半世紀よりもさらに前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。
60年代にはこんなことがありました。
ミスター・タンブリンマン/ザ・バーズ
Mr. Tambourine Man/The Byrds(1965年)
さほど詩的というわけでもない歌詞、とくに盛り上がるでもないメロディ。でも、少し浮遊感のある曲調がふしぎに印象的です。
独特の情感みたいなものがあって好きな曲です。今でもたまに耳にすることがあり、その度に懐かしい気持ちに誘われます。
フォークでもロックでもない、あるいは両者の融合した音楽、フォークロック。その意義深い端緒になった曲だったのですね。
「ミスター・タンブリン・マン」(Mr. Tambourine Man)は、ボブ・ディランが作詞・作曲し、1965年に発表した楽曲。ザ・バーズのカバー・バージョンが全米1位を記録。同年から始まったフォークロックの概念を確立させた曲の一つとして知られる。
ビキニスタイルのお嬢さん(和訳付き)/ブライアン・ハイランド
Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini/Brian Hyrand(1960年)
これは、リクツぬきにたのしい音楽ですね。ウキウキ、わくわくするような曲。イッツィ、ビッツィ、ティニ、ウィニはオノマトペ?
合の手を入れるクールな乳母さん、ビキニがはずかしいお嬢ちゃん、海の波とロッキングチェアのシンクロ(細かいけど)などピクチャ―が素晴らしい。
こんな曲を良く作ったもんだと感心してしまいます。60年以上たっても全然古びることがないですね。
ブライアン・ハイランド(Brian Hyland)は1943年ニューヨーク州クイーンズ生まれ。
セカンド・シングル「ビキニスタイルのお嬢さん」で大ヒットを飛ばし、一躍スターダムにのし上がった。
日本では本国アメリカ以上に人気を誇り、「Baby Face」(テレビ番組『タモリ倶楽部』の名物コーナー「空耳アワー」のエンディング・テーマとしておなじみ)が61年にヒット。
1962年には全米3位 「 Sealed with a Kiss ( 涙のくちづけ ) 」 もヒット。
日本には1960年秋頃に 「 ビキニスタイルのお嬢さん 」 が入ってきて、若干下火となっていた洋楽ポップスを再び盛り上げる一助となった。
ベビー・フェイス/ブライアン・ハイランド
Baby Face/Brian Hyland(1961年)
この曲もよく流行りました。
星に語れば/リンダ・スコット
I've Told Every Little Star/Linda Scott(1961年)
「マツコの知らない世界」のオープニングテーマ、といえば皆さんにおなじみですね。
よくこの曲を選びましたね。選曲のセンスがいいと思います。マツコさんの番組イメージにピッタリと納得させられてしまいます。
もともとが90年前の音楽というのも驚きです。
1961年にリンダ・スコットが歌った、星に語れば (I've Told Every Little Star)。 もともとは、もっと以前の1932年の ミュージカル映画 「Music In The Air 」の曲です。 TBSのバラエ ティー 番組「 マツコの知らない世界 」のBGMとしても有名。
……リンダのインタビューによれば、リンダはフォート・サム・ヒューストン(英語版)、テキサス州で2年間軍の検査技師をしていたことが分かった。また、アイオワ州のキングスウェイクリスチャン大学や神学校で学位をとっていることも分かった。
こうみると、リンダ・スコットさん、変わったインテリジェントな経歴の持ち主なんですね。
1960年代の華々しい活躍のあと、1970年には引退されたようです。
※素晴木あい さんの画像をお借りしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。記事が気に入っていただけましたら、「スキ」を押してくだされば幸いです。