1993年のオーストリア・モーツァルト №43〈ザルツカンマ―グート №16〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツカンマ―グート♪ №16(ハルシュタットを楽しむ)
1993(平成5)年7月18日(日)夕方〜夜
フォークダンスがひと区切りしたようなのでそこを離れた。博物館は閉まっていた。街の広場は小さいけれどちゃんと円の両替もできる銀行があった。
今度は滝の方へ行った。フーフー言いながら何十段かの階段を上がると滝のしぶきがからだにかかるほど近づいた。(※1)
もっと上まで(さっき見上げたケーブルカーの上の駅まで)舗道があるが、とてもそんな脚はなくてあきらめた。ちなみに駅のさらに先へいくと岩塩の採掘場あとが見学できるらしい。(※2)
宿にもどりしばらく休んで夕食をとってビールを飲んだ。うまい。そのあと外へ出て昼間歩いたところを回ったが、今夜は日曜日の関係かコンサートも何もなくて寂しく宿へ戻った。部屋で絵はがきを書いて眠った。(※3)
――つづく――
※1 平地が狭く、道が険しいハルシュタットの街。それでも太古から営々とひとの生活がありました。テレビ番組で見ましたが、教会の地下にこの街で生まれて亡くなった人の頭骨が記銘と共に整然と並べられていました。
※2 ハルシュタットは、紀元前から岩塩で栄えた街です。岩塩の採掘坑道跡を見学したかったのですが、時間がなく諦めました。
※3 この宿の居心地はよかったです。日中のにぎやかさと対照的にしずかにふけていく夜。ハルシュタットにいることの幸せをしみじみとあじわう気分でした。
※標題画像は、湖畔の街ハルシュタットです。
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