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60年代、流行った洋楽。2

『70年代、流行った洋楽』の60年代版です。
60年代の初頭は、私自身がまだ少年時代。音楽に目覚める以前のことでした。そのうち、ラジオのAM放送やテレビなどから流れる音楽に意識が向くようになりました。そんななか、記憶に残る曲にもめぐり逢いました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけでなく、半世紀よりもさらに前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

60年代にはこんなことがありました。


ワイプ・アウト/ザ・サーファリーズ
Wipe Out (1963年)/The Surfaris

 この曲のメロディーには、覚えがあるのですが、残念ながら曲名やアーティストには記憶がありません。
 しかも、ベンチャーズのオリジナル曲だと間違えていました。今回サファリーズの原曲であることがわかってよかったです。66年にもカムバックでチャートインしたとのこと。
 ベンチャーズやスパイダースもカバーした楽曲らしいです。

 原題のWipe Outはサーフィン用語で、その意味は「波に乗ってる途中でずっこけること」らしい。
 ザ・サーファリーズ(The Surfaris)は1962年カリフォルニア州グレンドラで結成されたサーフロックバンド。
 1963年マイナーレーベルのプリンセスより「ワイプアウト」をリリース、同年メジャーのドットから再リリースし、7月に全米第2位と大ヒットした。B面のヴォーカルもの「サーファー・ジョー」も62位。
竜馬のブログ


ターミー/ナンシー・シナトラ
Tammy/Nancy Sinatra(1964)

「フランク・シナトラのむすめ」という見方の世間。親の七光りが、歌手としてキャリアを積んでいくにあたっては必ずしもプラスばかりではなくて、生半可の努力では認められなかったことでしょう。
 しかし、ナンシー・シナトラはそれを跳ね返して名をあげていきました。この曲では、優し気な曲を印象的にしっとりと歌い上げています。

ナンシー・サンドラ・シナトラ(Nancy Sandra Sinatra、1940年6月8日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ジャージーシティ出身の歌手・女優。イタリア系アメリカ人。髪と瞳の色はブラウン。
フランク・シナトラと最初の妻との間にできた3人兄弟の長女。60年代中期、アイドル歌手として人気を博した。
代表作は、「にくい貴方(These Boots are Made For Walkin')」、「恋のひとこと(Somethin' Stupid)」、「シュガー・タウンは恋の町(Sugar Town)」など。日本でも多くの歌手が彼女の曲をカバーしている。
ウィキペディア


ダイヤモンド・ヘッド/ベンチャーズ
DIAMOND HEAD/THE VENTURES(1965年)

 ベンチャーズの名曲が多いとしても、私などはこの曲を第一に思い浮かべるほどにとりわけ日本ではポピュラーですね。
 ベンチャーズ、世界中の多くのミュージシャンに計り知れない影響を与えて、いまも演奏を続けているとはすごいことです。

「ダイアモンド・ヘッド」(Diamond Head)は、ベンチャーズの楽曲。アルバム『ウォーク・ドント・ラン Vol.2』(1964年)からのシングルとして発表された。B面は、『ノック・ミー・アウト』収録の「ロンリー・ガール」。
日本盤シングルのB面は『ウォーク・ドント・ラン Vol.2』収録の「朝日のあたる家」。
全米では70位という結果だが、日本ではベンチャーズの曲の中で最も人気が高く、カバーやテレビ番組のBGMに起用されることの多い曲のひとつ。





※素晴木あい subarasikiai さんの画像をお借りしました。


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らいとらいたあ
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