1993年のオーストリア・モーツァルト №27〈ザルツブルク №19〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツブルク♪ №19(航空会社へのリコンファームとホテルのチェックアウト)
1993(平成5)年7月16日(金)朝
目覚め。余りすっきりしない頭だ。たぶん疲れのせいか。でも……天気はよい!それで決めた。ザルツカンマーグートへいこう。(※1)
荷造りが終わったら11時過ぎになっていた。チェックアウトしようと思ってマダムにそう言ったら1,300シリングの請求書をくれた。ということは一泊650シリング。日本で予約するよりすいぶん安い。(※2)
それと、そろそろリコンファーミングをしなくてはならない時期だ。でも、航空会社のカウンターに直接行くなら何とか身振り手振り天ぷらどんぶりでなんとか通じても、電話でということになると話が違う。(※3)
下手をすると話が通じないか、最悪の場合キャンセルの電話と受け取られるかもしれない。どうもこればっかりは僕の手に余るのでホテルのマダムに代理で電話をしてもらった。(※4)
――つづく――
※1 個人旅行は自由でいいのですが、わたしのように、時として行き当たりばったりになってしまう恐れもあります。そのために見どころを逃したり。でも、失敗も旅のうちさ、と若さにまかせた部分もあります。
※2 これは仕方のないことですね。いまの世であればインターネットで直接予約もするでしょう。当時は旅行社を経由しますから確実な反面手数料がかかりました。
※3 「天ぷらどんぶり」はダジャレですみません。「リコンファーミング(リコンファーム)」は下記のことで、気になっていました。対面ではなんとか通じるでしょうが、電話となると自信がありませんでした。
※4 まかせたおかげで、スムーズに手続きが完了しました。これに限らず手続きやらなにやら、滞在中はマダムやスタッフの皆さんには色々親切にしていただきました。
※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。
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