マガジンのカバー画像

読書びより

163
気ままな読書で感じたことや役に立ったことを書いています
運営しているクリエイター

2023年2月の記事一覧

『人間の建設』No.22 人間と人生への無知 №2

 小林さんのいう「感情がそれをうんといわない」とは、「違和感があるように思う」と言い換えることもできると思います。  大会議などで、「感情がそれをうんといわないんです」とか「それは、違和感があります」なんてなかなか言えませんが、もし言ったとします。  それを周りから「根拠は何だ」とか、「論理的に説明せよ」といわれたら、答えることは難しいかもしれません。というかできない。  感情なので、理由はありません。いやだからいやだ、変だから変なので。  問答無用というと、力に訴え

『人間の建設』No.21 人間と人生への無知 №1

 前節で、常識が感情をもとにして働く(小林)、感情の満足と不満足を直観といい、それなしでは情熱もない(岡)、という会話がありました。  本節では、岡さんの口から「情緒」という言葉が出ます。感情、情、心などと同義と思われます。時間とは「情緒の一種だというのが一番近い」と岡さんは言います。  私達は、時間の進み方をときに早く感じたり、遅く感じたりすることがあります。一年があっという間に過ぎていく感覚を抱くことがある一方で、たった一分が長く感じられてイライラすることも。  時

『人間の建設』No.20 科学的知性の限界 №3

 話が前後しますが、前段で、ベルグソンとアインシュタインの衝突ということで会話がありました。時間の概念が、物理学と普通の人間とでは異なるという話でした。  小林さんが、いわば常識の言葉では翻訳不可能になってきた科学の進歩がどいうことなのかを岡さんに問います。  岡さんは、当時(1960年代)の数学の発展に関連して次のような話をします。  ここからさらに岡さんは言葉を継いでいくのですが、少し専門的な内容に踏み込まれていきますので、難解の度が深まります。(※1)  いずれ

『人間の建設』No.19 科学的知性の限界 №2

 上の会話に至るのは、これに先立つ会話の中で、小林さんが岡さんに「ベルグソンとアインシュタインの衝突」という話を提示したからです。  岡さんにはその話が初耳だったようで興味をしまします。そこで小林さんはフランスの哲学者ベルグソンの著書『持続と同時性』のアインシュタイン論にまつわる出来事を説明しました。  ベルグソンがその本で、物理学者としてのアインシュタインの表現を誤解して述べたのが発端で、逆に科学者からの反対が起こり、ここが違うじゃないかと指摘されて、ベルグソンはその本

『人間の建設』No.18 科学的知性の限界 №1

 数学も個性を失っている、という話から進んで、岡さんは、現代(=当時)を古代ローマと同じく暗黒の時代、功利主義の時代、知力の低下の時代といいます。そして、水爆の開発なども引き合いに人類の未来への懸念を口にしました。  次に科学的知性の限界に話が移ります。  小林さんが、言葉による表現の問題について批評家の立場から岡さんに問いを投げかけました。科学の世界、科学者の考える世界というものを言葉にすることの可能性について。  岡さんがこたえて、その困難性に言及します。それは難し

『人間の建設』No.17 数学も個性を失う №5

 話題は、数学の抽象化の問題から、世界の知力の低下に移っていきます。現在(=対談当時)の世の中は功利主義が世界をおおっていて、ローマ時代とそっくりになってきているというのです。 〈すべての道はローマに通ず〉という言葉にあらわされるように、ローマ帝国では、道路や水道などのインフラが整備されて都市には石造りの、数階建ての建物もつくられていました。  公衆の浴場が人々の社交の場にもなっていたともいいます。テレビや書籍で観たり読んだりするかぎり、ずいぶんすすんだ社会のようにも思え

『人間の建設』No.16 数学も個性を失う №4

 数学と個性ということについての対談が続きます。  現代(当時)の数学の世界が、概念に概念を積み重ねていく積木細工のようになっていてますます抽象的な度合いを深めている。  すると、一番下の積木から理解していかないと、天辺の積木のことがわからない。そして積木がますます高くなっているというのです。  数学を専門とする人が、大学、院と学んでもまだ時間が足りない。これではやっていけなくなる。「いまが限度だ‥‥‥もういっぺん考え直さなければいかぬ」と岡さんは言います。  数学にお