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9月24日日曜 翼の翼

図書館で中学受験小説の「翼の翼」を借りて読んだ。
17時ごろ読み始めて、読み終わる頃には20時だった。
私は読みたい本を全部購入できる稼ぎはないので、図書館にとてもお世話になっている。
だいぶ前から順番待ちしていた本が3冊回ってきたので、まずは一番気になっていた翼の翼から読んだ。

自分は地方出身かつ中学受験を経験しておらず、小学生時代は塾に行っていなかった。
中学受験というのは学年の中でも1、2を争う賢い子が、学校を休みつつ塾で勉強に励み、受験が終わったら戻ってくるというイメージしかなかった。
しかしある日ポッドキャストで「お受験ママ」なりきりラジオを聴いたことでリアルな中学受験に興味が湧いた。

そこで今回この本を読んだのだが、想像を絶する子供の勉強量だった。
学校から帰ってきて何時まで休憩、それから勉強というシーンでは本当に驚いた。
こころが壊れていく子どもを見るのはつらかった。

一冊の本の中では最終的に関係修復してハッピーエンドだが、実際は人生はまだまだ続く。
3年間で降り積もった傷は、癒えたり癒えなかったり、良い経験になったりならなかったりするだろう。あとから許せることもあるし、一生許せないことまあるだろう。
どうか、癒えなくて、良い経験にもならなかった傷も受容して生きてゆけますようにと願うばかりだ。

子どもの評価が自分の評価になってしまった親はこんなにも盲目なのか。
最初は成績が良く期待をした結果、日本一を目指す以外の選択肢を失ってしまった虐待のようなスパルタ指導を始める。
耐えられない翼はこころを壊し、一家は大変なことになる。

「できない子だったらよかったのに」
そうしたら期待せず、ありのままを愛せたのに。こういうことをいうシーンがある。
子どもの評価が自分の評価という気持ちが大きければ、できてもできなくてもありのまま受け入れるという段階に達するまでつらい期間は訪れるのだと思う。

私は子供もいないし周囲に小さい子を持つ母親もいないから想像するしかないが、子供は他人であり自分の価値とは関係ないとおもうのは、本当に難しことなんだろうな。

以下は、胸に刺さった部分です。
かつての翼パパは、こういう理由で追い詰められていたんじゃないかという円佳の解釈。

きっと、あなたのお父さんは、この世の中が絶望的に怖い場所だと思っているんじゃないかなと思う。そう思って生きることは、きついし、楽しくないと思う。
でも、そう思ってしまっていたからこそ、お父さんは、あなたをなんとかして安全な場所に導こうと必死だったのね。

この世は恐ろしいから、ほんの一握りのパイを掴んだ人だけが幸せで、それ以外は幸せではないのではと思うことがある。
最近私も思い悩むことが多く、いろんなものを幸と不幸に分類しては卑屈になっていた。
しかし選択肢がいつも二択なわけではない。
一つの成功以外が含んでいる幸せの多様性は覆い隠され、すべてが不幸だと錯覚してしまっているだせなのだ。
今いる場所はそんなに恐ろしいのか、0か1かで判断しようとして病んでいないか、立ち止まって考える機会になった。

最後にひとつ。私は貴子さんが好きだと思った。みんな貴子さんが好きだと思う。なんて素敵な人なんだ。翼の翼での1番の癒しであった。

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