見出し画像

我慢がわたしの特技

うちってどうして他のうちとちがうの?
自分のへやがない、じいじとばあばもイヤ、お母さんがイヤなやつ、自分のデスクがない。お店といえば〇〇、1回もほしいもの買ってくれたためしがない、おかしは1週に一度、服がお古、お母さんがケチ、自分の仕事が多い、弟と同じことをやってもあたしがおこられる、お父さんうるさい。もうストレスがたまりすぎた。怒りをばくはつさせたい。これをがまんできない。いままで11年間ずーっとすごくがまんしてきた。10才の1月にはお母さんが入院した。がまんさせたあげくだ。じいじもばあばもきびしすぎる。

日記より

大人になるとわかる。大人にも大人の事情があって子供の要望ばかり叶えられないと。この日の日記は見開き1ページぎっしり不満で埋められていました。

不満のひとつひとつを見ていくと、小さいことのように思えますが、私の一番の不満は、不満を親に聞いてもらえなかったことでしょう。

私には日記があって、日記には何でも書けたからまだいいけれど、もし不満を吐き出す場所がなければ、私は本気で親に危害を加えていたんじゃないかと思うと恐ろしいです…。実際、母の後ろ姿をみて飛び蹴りしたい、なんて思って必死に自分を抑制した記憶もあります。

一緒に過ごしていたら、親も子供もお互いに気に入らないことはあるわけで、そんなときに一人になって落ち着ける部屋があったなら…と思います。私には自分の部屋がなく、まあそれは部屋数と5人家族という人数では難しいことは理解できるのですが、ひとがいない部屋に一人でいることも許されませんでした。「何を拗ねているの?」と気持ちが整っていもいないのに無理やり引き戻され向き合わされます。向き合うという名の一方的なお説教。

私の特技は、我慢することだと長年思っていました。イライラを日記にしか吐き出せず、日記を開ける時間は限られているからそれまではイライラをなかったことにするしかできず。大人になってカウンセリングを受けて知ったのですが、感情はなかったことにはできないそうです。なかったことにされた感情は貯めこまれ、限界がくると爆発します。

大人になった私は、恥ずかしながら母が亡くなった今でも、母への不満を持ち続けていると思います。こうして文字に起こしていると、子どもの頃の自分の気持ちが鮮明によみがえってきます。もちろん、母は極悪人ではないし、親として私を育ててくれて、幸せな思い出もあります。だけど負の感情の方が濃厚だからなのでしょうか。このままでは一生母への不満を抱えて生きていかなく手はならないと思ったら恐ろしい。とっても嫌な作業だけど、こうして子供の記憶と当時の感情を掘り起こして、自分で自分に共感してあげなくては。

今でも嫌なことがあっても、自分の負の感情を認めずなかったことにしてやり過ごそうとしてしまいます。つらいものはつらい、むかつくものはむかつく。自分の気持ちを自分でいったんは受け止められるようになる練習中です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?