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長谷川四郎「阿久正の話」

フィリップ・マーロウが嫌いだ。
……いきなり他人の小説の、それも主人公の悪口から始まる解説というのもどうなんだと思うが、筆者はとにかくあの男、フィリップ・マーロウが嫌いである。一度もかっこいいと思ったことがない。

それはなぜだろう?と聞かれたら、はっきり言わせてもらおう。「ダサい」。
そうだ、天下の村上春樹が訳しているからなんだというのだ、私立探偵フィリップ・マーロウは「ダサい」のだ!

しかし、何が私をして、そこまでフィリップ・マーロウ氏を憎ませるのだろうか。私は考えた。
わかったことがある。
人間の人格というのは、オレオのようなものだ。外側のココアなくしては内側のクリームは引き立たず、しかしまたクリームなくしてはクッキーのパサつきが苦しくなる。

オレオなんかで例えるんじゃなかった。

まあつまり、人間は自己と他者のあわいで人格を作っていく。親だったり、教師だったり彼氏彼女だったり―プラスマイナスともに。

それが、このフィリップ・マーロウには「他者」がいない。 
彼はまるで自分でおしめをかえ、幼稚園に通い、高校の学費を捻出したかのように振る舞う。それが気に食わない。

架空の人格であることは分かる。それでも鼻持ちならない。訳者の村上春樹初期作品を筆者が好きになれないのもここにある(中期からは「父親」が他者として強く現れてくるのだが―「日々移動する腎臓のかたちをした石」など)。

それで何がどう長谷川四郎「阿久正の話」と関係するのか。実は―この「阿久正」氏、フィリップ・マーロウと似ているのだ。

しかし、私は阿久正のことは好きだ。そこで、彼がなぜフィリップ・マーロウと似て非なるのかを解説していきたいと思う。


阿久正。この男は、ひどく奇妙な男だ。「中肉中背」で、新聞のどうでもいい記事を面白がる。そして「子供の時に祖母さんから聞かされた昔話」を「いまだに沢山覚えている」。

そして「カラス小屋」というちゃちな小屋を自分で建てて、そこで音楽を聴く姿は「扇風機でもかけて涼んでいるよう」だ。

他には、奥さんと「月はじめにはゼイタクを」するが、阿久正にそんな大金があるはずもない。案の定、「ついには絶食状態に近くな」る。

そして「阿久正の話」の最後、阿久正はあっさり死んでしまう。
「私」―語り手は彼の遺言を考える。それはこうだ。
「―きみは、もしいい相手がいたら結婚してくれ、そして、もし子供が生れたら、ぼくと同じ名前をつけてくれ」


この阿久正は、さながらひっくり返したフィリップ・マーロウなのだ。

たしかに、阿久正はフィリップ・マーロウのようにヤクザと闘いもしない。友人をメキシコに逃したりもしない。彼は平凡な会社員に過ぎない。

にも関わらず、彼にはどこか似た空気がある。その振る舞いには社会や国家のような大きなイデオロギーと相容れないものがある。

そしてもう一つ言えば、彼からは奇妙に「血縁」―人間との縁、関係性が感じられない。妻とは口論ばかりしていると言うが、それも漱石のようなものではない。子供のごっこ遊びのようだ。

作者である長谷川四郎はシベリア抑留者である。1945年/36歳から1950年/41歳まで。「シベリヤ物語」という著作もある。

言ってしまえば、長谷川四郎は日本社会における「疎外者」だったのではないか。
だからこそ、彼の創造した人物、阿久正はフィリップ・マーロウと似ていて、違う。
フィリップ・マーロウは確かにアウトサイダーだが、それはあくまで自由意志的なものだ。
しかし、阿久正のアウトサイダー性はむしろ、彼の「外」から訪れたものの気がする。

作中、阿久正はある昔話を語る。
一人のおばさんがいる。彼はおじさんのことを、ある日突然嫌いになる。
そこで、おばさんはおじさんに満月の夜に水にさらした麻で織った「月の夜ざらし」をおじさんに着せる。おじさんは消えてしまう。

その後、おばさんはおじさんに会いたくなる。「村のはずれの六道の辻」で、おばさんはおじさんに再会する。
おじさんは歌を歌う。
「月の夜ざらし知らで着て、今は夜神のともをする……。」
そのままおじさんはどこかに消えてしまう。

「突如として阿久正の中から出てきた、この奇妙なお話」は、何か危ういものを感じさせる。この世とあの世の境を垣間みてしまったような、そういった類の。

「阿久正」もまた、何者かに「月夜の夜ざらし」を着せられた人間なのではないか。ふとそう思う。
もっと言えば、長谷川四郎本人も。


とにかく、「阿久正の話」はとても好きな短編である。ぜひ皆さんも読んでみてほしい。
そして貶したがフィリップ・マーロウものも、娯楽小説と文芸性を両立させた完成度の高いシリーズである。
まあ、筆者はウィリアム・アイリッシュ「幻の女」の方を選ぶが。
最後まで他人の作品の文句である。

なお、村上春樹氏「若い読者のための短編小説案内」―「若い読者のための」は編集者がつけたのだろうかというくらいセレクトは渋いし明らかに個人の好みに寄っているが―でも「阿久正の話」は取り扱われている。筆者よりは的を射た案内だと思う。良ければ読んでほしい。

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